壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真ブレイク詩集西洋哲学 プロフィール掲示板


長屋紳士録:小津安二郎の世界



「長屋紳士録」は小津安二郎の戦後第一作だ。上映されたのは昭和22年4月、東京を始め日本中の町にまだ瓦礫の山が残っていた頃だ。それなのにこの映画で展開されたのは、瓦礫の山ならぬ、別天地のような長屋を舞台に演じられる人情劇だ。人情劇であるから伝統的な人間関係がテーマであるかのように思わせるところがある。いってみれば時代を超越しているのだ。だから戦後の東京の殺風景な風景など問題にならない。当時の批評のなかには、これを時代錯誤も甚だしいとこき下ろすものもあったそうだが、それはこの映画の脱時代性に着目してのことだったのだろう。

舞台となる長屋は東京の一角にある。周囲に運河が流れ、乾の方角は下谷だといっているので、恐らく深川あたりだろう。もっとも、築地本願寺らしい変った建物がちらりと見えたりするから、観客は混乱する。その本願寺らしいものも、運河沿いののっぺらぼうな空間に、みすぼらしい様子でたたずんでいるのである。

長屋には数組の住民が住んでいる。みなお人よしな人々で、互いに支えあい、励まし合って生きていることが映画の進行を通じて明らかになってくる。そこへ、笠智衆が演じる男が子どもをつれて帰ってくる。九段で親からはぐれて迷っているところを見つけ、拾ってきたのだという。男は共同生活者であるもう一人の男に、この子を泊めてやってくれというが、共同生活者は絶対に嫌だという。そこで、隣に住んでいる初老の女(飯田蝶子)にこの子を押し付けることにする。女も最初は嫌がっていたが、ついに一晩泊めてやることにする。根がお人よしなのだ。男たちにはそのお人よしぶりがわかっていたからこそ、子どもを押し付けることができたわけである。

飯田蝶子はこの子が九段で父親とはぐれたというので、子どもたちが最近まで住んでいたという茅ヶ崎へ行けば、父親の手掛かりがわかるかもしれぬと考え、そこへ子どもを連れて出かけるのだが、わかったのは、この父子がここに住んでいたことはいたが、最近夜逃げのようにしていなくなったということだった。その話を聞いて彼女は、この子が父親から捨てられたのであろうと推測する。そんな子どもを自分が面倒見るわけにはいなかいと考えた彼女は、子どもを茅ヶ崎の海岸に捨ててこようとするのだが、子どもに必死につきまとわれて、結局長屋まで連れ帰ってくる。こうして、初老の女たる飯田蝶子と小さな子供との不思議な共同生活が始まるのだ。

この疑似母子の共同生活をめぐって、さまざまな場面が風景のように展開していく。長屋の住民はどのようにして生活しているのか。ある世帯が京染を家業にしていることは明示されているが、飯田蝶子を含めて他の連中が何をやって生計を立てているのかは、あまりよくわからない。笠智衆はどうもテキヤのようであるし、闇屋稼業らしいものもいる。その辺は戦後の世相をちらりと伺わせる。

この長屋にも町会というものがあった。その町会の席で町会長がみなに御馳走を振る舞う。町会長の息子が宝くじをあてたので、そのおすそわけだというのだ。その席でみなが、笠智衆にのぞきからくりの歌を聞かせてほしいとねだる。昔なつかしい縁日の節回しだ。それを笠智衆がうなると、みなは箸で茶碗を叩いて音頭をとる。飯田蝶子演じる初老の女もその節回しにうっとりとする。

子どもが宝くじをあてたのは、子どもの心が純粋だからだ、とだれかがいう。宝くじと言うものは、欲得ずくであたるものではなく、欲のないものこそ当たるものだ。それを聞いて、飯田蝶子にはいたく感じるところがあった。

飯田蝶子には、幼馴染の女があって、それがときどき訪ねてきては子どもの様子を伺う。蝶子があまりにも激しく子どもを叱るものだから、そんなに叱ってはいけないと諭す。蝶子が、子どもが寝小便をしたので叱ったのだというと、わたしらだって子どものころはおねしょをしたではないかといって、さらに諭す。そういえばそうだったか、と飯田蝶子は妙な納得をする。その友達の女が子どもに10円札を小遣にくれる。それを見た飯田蝶子は、その金で宝くじを買って来いと命じる。お前の心が純真ならきっと当たるはずだと考えたのである。ところが、宝くじはあたらなかった。飯田蝶子はさんざん子どもを罵る。子どもは激しく泣く。飯田蝶子の期待を裏切って悲しいのだ。

ある朝、飯田蝶子が目を覚ますと、子どもの姿が見えない。どうやら子どもは再び寝小便をして、そのことが飯田蝶子に対して申し訳なく、責任を感じて出て行ったようなのだ。子どもに出て行かれた彼女はそわそわとして、あちこちを探し回る。この時初めて彼女は、子どもが自分にとって必要な存在になっていることに気づくのだ。

再び笠智衆が子どもを連れて帰ってくる。九段でうろついていたところを、見つけて連れてきたというのだ。飯田蝶子は子どもとの再会を喜び、これからは二度と別れないと誓う。彼女は子どもを自分の養子にする気持ちになったのである。

疑似母子だった彼女と子どもは、世間なみの母子になることを記念して、スタヂオで一枚の記念写真をとる。友人に勝って貰った晴着を子どもに着せ、自分もおめかしした飯田蝶子は、二人仲良く並んでカメラの前でポーズする。カメラのシャッターが切れる。二人の映像が逆さになってスクリーンに焼き付けられる。その後には長い空白の時間が流れる。その空白には、やがてあらたな時間がきざまれることだろう、とでもいうかのように。

結局、二人は世間並みの母子になることはできなかった。子どもの父親が、子どもの居場所を突き止めて迎えに来たからだ。

子どもを父親に返した飯田蝶子は思わず泣き崩れる。心の中にあいた深い穴を、涙で埋めようとするかのように。

飯田蝶子は仲間たちに向かって、自分にも子どもができるかと問う。その年では今から生むというわけにはいかぬが、養子をとることくらいはできるだろう、と仲間たちは言う。そして、その子どもがいるめでたい場所は乾の方角にあると忠告してくれる。乾の方角には上野の山があって、そこには戦災孤児が山のようにいるというわけなのだ。

映画の最後のシーンは、その上野の山の西郷さんの銅像に群れ集まる浮浪児たちの姿を映し出す。ここで観客は初めて、今なお体験しつつある戦災の現実に連れ戻されるというわけなのであろう。




HOME小津安二郎の世界次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである