壺齋散人の 映画探検
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東京物語:小津安二郎の世界



山田洋次監督の「東京家族」を見たことがきっかけになって、そのもとになった小津安二郎の映画「東京物語」を見たくなり、さっそくDVDを取り寄せて、パソコンの画面で見た次第だ。この映画を最後に見たのはもう30年以上も前のことだから、細かいところは忘れてしまっていたが、大筋はまだ覚えていて、それが東京家族でもそのまま繰り返されているのが、改めてよくわかった。山田監督の小津作品への思い入れの深さがわかったといってもよい。

先日その東京家族について書いた記事の中で、香川京子と原節子の対話に触れたところで、「いやあねえ、生きるって」と書いてしまったが、実際には香川京子が「いやあね、世の中って」といい、それに応えて原節子が「そお、いやなことばかり」と言うのだった。香川京子がそういったのは、兄や姉たちが自分勝手で、死んだ母親のことを少しも考えていないと非難したことに対して、原節子が「世の中なんてそんなものなのよ、だれだって自分の生活が第一なのだから、それを非難してはいけない」といったからなのであった。

この場面を改めて見せられて、小津安二郎はここで一体何をいいたかったのだろうと、筆者なりに考え込んでしまった。映画全体が日本人の親子のあり方をテーマにしているのが間違いない。小津は、その親子のあり方について、理屈ばった表現はしていない。親たちと子どもたちとのかかわりを、なるべく淡々と流れるように描いている。それでも時には、親が思い描いていた子どもとの親密な関係が、実際にはそうでもなく、子どもから疎外されていると感じざるをえない、そんな気持ちを何気なく表現する場面を挿んでいる。

だから、上述の会話の場面は、親が漠然と感じていた疎外感を、末娘の香川京子が代弁したのだと捉えることもできる。そう捉えれば、「いやあねえ、世の中って」と言う言葉は、親子関係の崩壊を嘆くシンボリックな表現であると考えることもできる。小津がこの映画で描いたのは、そうしたもろい家族関係ではなかったか。

その点、山田監督のほうは、もっと救いのある描き方をしている。山田監督は香川京子に対応する役柄をカットして、原節子に対応する蒼井優と父親との間で直接会話をさせている。その会話は、老人の行末といった後ろ向きのさびしいものではなく、若たちの未来、つまり息子とその恋人蒼井優の幸せを願うという前向きのものだ。

小津がこの映画の中で、家族関係について悲観的な姿勢を取ったのは、どういうわけなのだろうか、筆者はまたそんな風に考えを進めていった。

小津がこの映画を作ったのは終戦からそう遠くない時点のことであるから、いまだ戦争の傷跡が残っている。原節子が演じている婦人は老人たちの二男の未亡人ということになっているし、老人と一緒に飲んだ仲間も戦争を話題にして、もうこりごりだと叫んでいる。昭和28年と言えば、安保条約が締結された直後であり、日本の再軍備が深刻に懸念されていたという事情もある。そうした時代背景が、映画にも影を落としていると考えられなくもない。

また当時を生きていた人々は、みな苦しい生活をしていた。朝鮮特需で日本経済はようやく明るさを取り戻しつつあったが、一般庶民の生活は依然ぎりぎりの状況だった。そういう状況の中で、一人一人が自分の生活を守るのが精いっぱいで、親と雖も、他者をもてなす余裕などない。それが普通のことだった。だから、親に孝行を尽くせなかったからといって、その子を責めるのは誰にもできない。そういう悲しい事情があった。そのことを小津は原節子の口から語らせているのだと考えられなくもない。

トータルに考えれば、老人夫婦はやはり幸せだったといわねばならない。彼らは曲がりなりにも田舎から東京へ出てきて、子どもたちに会うことができた。子どもたちも、不足はあったにせよ自分のできる範囲で親の相手をしてあげた。親は宿無しになるような目にはあったが、満足した気持ちで田舎に帰っていくことができた。東山千栄子が笠智衆に向かって、子供と孫とどっちが可愛いかと聞くと、笠智衆は子どもの方が可愛いと答える。すると東山千栄子もそおねえと応じる。何といっても子どもたちは可愛いのだ。

家族と言うものはそう単純なものではない。いろいろな要素を抱え込んだものだ。その要素の中には心温めるものもあれば、ため息をつきたくなるようなものもある。そういうすべてを合して家族と言うものが成り立っている。それをありのままに描きだすこと、それがこの映画の中で小津のとった姿勢なのではないか。

映画の筋はともかく、技術的な側面についても、改めて感心させられるところが多かった。いわゆる小津式のシネマトロジーというやつだ。

画面は基本的に静的である。カメラが固定し、ずっと同じ場面を映し続けることが多い。カメラが人の動きを追うのではなく、人がカメラの周囲を動き回ると言ったシーンが多い。例えば冒頭のシーン、台所を遠くから映し出し、そこを人物が入れ代わり立ち代わり行き来する。これは舞台上に演じられる眺めをフィルムに移し替えたような感じを観客に与える効果がある。

人物は多くの場合座った姿勢をとる、複数の人物がいる場合には、かれらは横に並んで座る。東山千恵子は何回か観客に向けて尻を見せるシーンを映されている。その巨大な尻こそが自分の存在の証しだといっているようである。

また、人物は同じ画面で対話することが少ない。彼らは交互にアップで映し出され、画面に向かって、つまり観客に向かって話しているように見える。

そして全体としてカメラアングルが非常に低い。人物を下から見上げるような角度で映し出すのである。

こうしたテクニックは小津式シネマトロジーといわれて、小津安二郎の映画作りを特徴づけるものとして批評の対象になってきた。画面の作り方においては、静的という点で溝口健二と共通するところがあるが、溝口の画面がそのまま舞台を映し出しているようにあまり動かないのに比べれば、小津の方が変化が多い。しかし黒沢明に比べればはるかにスタティックな画面作りだとはいえる。

こうしてみれば、「東京物語」という映画は、筋書きの点でもシネマトロジーの点でも、「東京家族」に巨大な影を落としている作品だということが、改めてわかる。

なおこの作品で72歳の老父を演じた笠智衆は実際には46歳、68歳の老母を演じた東山千栄子は58歳だった。ちなみに東京家族で68歳の老母を演じた吉行和子さんは77歳だった。(上の映像は、映画の中の一シーンではなく、出演者たちの記念撮影のようである)




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