壺齋散人の 映画探検
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秋刀魚の味:小津安二郎の世界



映画「秋刀魚の味」は小津の最後の作品、いわば遺作である。そのためというのでもないだろうが、この映画には「老い」の哀愁が漂っている。題名の秋刀魚の味が連想させるように、この映画は人生の秋を描いているのだ。

「秋刀魚の味」といっても、この映画の中では秋刀魚を食べるシーンは出てこない。そのかわりに鱧を食べるシーンが出てくる。主人公笠智衆の学校仲間が恩師(東野栄次郎)を誘って同窓会を催す。その席に鱧の汁が出てくる。それを恩師がうまそうに食いながら、指文字で鱧という字を書いて見せる。この恩師は鱧という漢字は知っていたが、本物の鱧を食ったことがないのだった。

この同窓会は恐らく中学の同窓会だろう。その同窓生のうち、笠智衆を中心に仲の良い三人が映画を引っ張っていく。笠智衆以外の二人は、「秋日和」の中で佐分利信の仲間役を演じた二人の男たち、中村伸郎と北竜二である。この二人は佐分利信と組んで、原節子と司葉子が演じる母子に縁談の世話をするのだったが、この映画の中でもやはり、縁談の世話をする。今度は仲間の笠智衆の年頃の娘に良い縁談を持ってくるのである。

このように、この映画も小津作品のおなじみのテーマを扱っている。年頃の娘の縁談と、それを巡っての家族や友人たちの心温まる交流である。

この映画のこの映画らしさといえば、親が自分で積極的に娘の結婚の世話を焼くのではなく、周囲から促されるようにして、いわば仕方なく娘の結婚話を進めていくというところにある。父親の笠智衆は、できればいつまでも娘を手元に置いておきたいのである。娘のほうもその気持ちを汲み取って、なかなか結婚に踏み切れないでいる。娘には娘なりに好きな人がいるにもかかわらずである。

それ故、この映画の中の父親たる笠智衆は、自ら進んでというより、世間の手前、娘に結婚させてやらねばならないと感じるのだ。その世間に肩入れしているのが二人の友人たちである。彼らは、親の都合で娘を嫁に遣り損なっては、世間に対して顔向けができないだろうと、友人の笠智衆を責めるのである。笠智衆もそんなものかと思って、ついに不本意ながら娘を嫁にやる決心をつけるというわけだ。

笠智衆演じる父親が娘の結婚を真剣に考えるようになるには、もう一つ伏線があった。それは嫁に行き損ねた女の不幸と、それに対して責任を感じている老父の悲しみを見せられてしまったことである。同窓会が終わったあと、笠智衆と中村伸郎が恩師を自宅まで送り届けるのだが、そこはラーメン屋で、恩師と娘との二人で切り盛りをしている。その娘(杉村春子)が酔っぱらった父親の姿を見て、いかにもいまいましそうな顔つきをする。それが嫁に行きそこなった女の怨念のように感じさせる。この不幸な父娘を目の前にしたからこそ、笠智衆の気持にも踏ん切りがついた。そんな風な設定になっているわけだ。

笠智衆はこのラーメン屋をもう一度訪れる。その際、客の男(加藤大介)から親しく声をかけられる。戦時中笠智衆が駆逐艦の艦長として働いていた時に、その乗組員だったというのだ。すっかり意気投合した二人は、東野栄次郎父子を放り出して、二人肩を並べてとあるバーに行く。そのバーで、すっかり気分がよくなった加藤大介は、おかみ(岸田今日子)に軍艦マーチを流させ、その音楽に乗って海軍時代に毎日繰り返していた動作を、懐かしそうに繰り返す。それに乗せられて笠智衆も敬礼の動作を返す。

こんな光景を見せられると、この映画が上映されたは昭和33年だというのに、いまだに戦争時代の記憶が生き生きとしていたのだということを感じさせられる。しかし小津は別に戦争時代をなつかしがっているわけではない。例の同窓会の席上では、「戦争に負けてよかったんだ」とか「馬鹿な奴らがいばらなくなってよかった」と言わせているのである。

娘(岩下志麻)に結婚させることを決意した笠智衆は、娘にはどうも好きな男性がいるらしいと知って、その男性の気持を確かめようとする。ところが、その男性は息子(佐田啓二)の友達だというので、息子を通じて相手の気持を確かめさせる。すると、その男もかつて岩下志麻に思いをよせたことがあり、彼女との結婚を考えたこともあったが、彼女の方に結婚する気が無いようなので、もう別の女性と婚約してしまったという返事が返ってくる。それを聞いた笠智衆は、自分にもう少し理解があれば、娘は好きな人と結婚できたのにと、あらためて罪悪感のようなものに苛まれるのである。

そこでようやく、友人たちの好意が報われる段となるわけだ。笠智衆は友人たちから持ちかけられた縁談話を娘に薦める。その前に、兄の佐田啓二が、彼女の意中の男から聞いた話を伝える。その話を聞かされた娘は、観念したように、縁談のことはお任せしますといって自分の部屋に戻る。そこを廊下ですれ違った次男が見て、何故姉さんは泣いているのかと、父と兄に聞く。気配の異常を覚った父親は急ぎ娘のいる部屋に上がって、やさしく声をかける。そして、「下へ来ないか、おいで」といって、娘の気持ちを気遣うのだ。この辺のところは、親子の情愛が素直に出ていて、実に泣かせる場面である。

ここで画面が急展開して、一気に嫁入りのシーンになるのは、他の作品と同じである。岩下志麻が二階の自分の部屋で嫁入り支度をしている。それを笠智衆や佐田啓二夫妻がそわそわとして待っている。いよいよ支度が整ったと知らせが入る。笠智衆らはいそいそと二階へ上がる。そして美しい岩下志麻の姿を見て感慨深そうな表情をする。岩下志麻の方は畳に手をついて深々と挨拶をする。おなじみの場面だ。

そして画面は一気にラストシーンへと直行する。結婚式を終えた笠智衆は、二人の友人と行きつけの店で飲み直しをする。その席で笠智衆が感慨深そうな表情で言う言葉が意味深々だ。「娘なんて育てがいのないものだ。せっかく育てたと思ったら、他人に取られてしまう」というのである。

この時代には、笠智衆と同じような考え方をしている人は多かっただろうと思われる。ようやく核家族が現れてきたとはいえ、まだまだ日本の古い家族制度は死に絶えてはいなかった。だから女性が結婚するというのは、親元の家族を離れて夫の家族の一員に組み込まれることを意味していた。そんな時代には、手塩にかけて育てた娘を、他の家族に持って行かれる、という風に感じる者がいても、それはそれで不思議ではなかったわけである。無論いまでは、そんな風に思う人はほとんどいないだろう。大きな単位の家族が崩壊してしまったわけだから、他の家にとられたという感覚はなく、子どもたちが自立して自分の家族を持つようになったという風にとらえるのが殆どだろう。だから、息子も娘もほとんど差のない立場に立つようになったといってよい。

一日を終えた笠智衆が自分の家に帰ってくると、息子の妻の岡田茉莉子が出迎え、笠智衆の帽子を受け取ってそれを玄関ホールの帽子受けに収める。いままでは娘の岩下志麻がやっていた行為だ。その娘がいなくなったからには、今後は笠智衆が自らの手で行わなければならない。今日はたまたま息子の妻が居てくれただけなのだ。

これを思うと、これからの老残の生活の侘しさが思いやられる。というわけで、この映画は老いというものを非常に強く感じさせるのである。

なお、この映画の舞台になっているのは池上線の沿線のようだ。たった一回だけ出てくる鉄道の駅のシーンから、そのことがわかる。前後の駅が、千足池と雪谷大塚と表示されているから、ここは池上線の石川台駅と知れる。映画に出てくるシーンは、殆どがこの石川台駅の近所だと思われるが、そのあたりに土地勘のない筆者にはピンとこない。ただ、戦前のサイレント映画の傑作「生れてはみたけれど」も、やはり池上線沿線を舞台にしており、それと比較することで、この周辺の、時代による変遷ぶりを感じとることはできる。

(付言)小津はこの映画を作っている最中に母親を亡くし、その翌年には首にがんができて、あっという間に、自分自身も死んでしまった。あたかも60歳の誕生日のことだった。




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