壺齋散人の 映画探検
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狂った一頁:衣笠貞之助



衣笠貞之助が1926年に作った映画「狂った一頁」は、佐藤忠男によれば、日本の映画史上最初の芸術的な作品ということである。それまでの日本映画は、ただの娯楽であって、芸術とは縁がないと思われていた。ところがこの映画が出たことで、日本の映画もやっと芸術に目覚めた。日頃映画について無関心であった日本のインテリ層も、この映画を見ることで、映画を見直すようになった、というのである。

衣笠貞之助は、もともと新派映画(サイレント)の女形として出発した人だ。それが女優の登場によって仕事を失った。そこで衣笠は監督業のほうに鞍替えして、引き続き映画の世界に生きようとした。「狂った一頁」はそんな衣笠の映画へのこだわりというか、意気込みを感じさせる作品である。

この作品は、衣笠の処女監督作ではない。衣笠は前の年の1925年に「日輪」という映画を作っている。これは横光利一の同名の小説を映画化したものだったが、何故か右翼が不敬だといって騒いだので、まともに上映できなかった(当時の右翼は、半端ではない怖さがあったから)。そこで満を持して作ったのがこの「狂った一頁」だったという。映画を作るに際して衣笠は、横光や川端康成に相談して、芸術らしい映画造りを目指したという。その結果、日本の映画の常識を打ち破るような斬新な作品が出来たというわけである。

この映画の最大のポイントは、字幕による説明を加えずに、純粋に映像だけで出来ていることだ。無声映画の時代には、ストーリーの展開を観客が理解できるように、字幕や弁士による説明が付与されていた。それに対して川端らは、映画の映画らしさは純粋に映像だけからなっていることだとして、余計な説明を一切省くように、衣笠に忠告した。衣笠はその忠告に従って、映像だけからなる映画を作ったというわけである。

今日見られるヴァージョンは、戦後見つかったフィルムを再編集したもので、本来70分のものを58分に圧縮し、列車や雨などの音声が入っている。その音声がもともとあったものなのか、それとも古いフィルムを再編集した際に付加されたものなのか、よくわからぬが、この映画が映像主体の映画だという特徴は損なわれていない。

この映画には、ドイツ表現主義の影響が指摘されている。当時、つまり1920年代はドイツ表現主義が芸術上の一大運動として展開されており、映画にもその波は押し寄せていた。表現主義の映画というのは、人間の心理状態を表出した情動的な性格の強い作品で、不安な気分を表現するのに画像をゆがめたり、人間の表情を誇張したりする特徴があった。そうした特徴はこの映画の中でも反映されている。この映画はドイツ表現主義の傑作といわれる「カリガリ博士」を意識して作ったと指摘されているが、たしかに随所に「カリガリ博士」の影響を指摘できる。精神病院を舞台にしている点、空間をゆがめて表現するところ、人間の表情を極端に誇張する点などがそうだ。

しかし、違ったところもある。カリガリ博士は、精神病院の入院患者の妄想という形で映画の世界が展開されてゆくが、この映画は現実の出来事を描いているということになっている。雰囲気が一見シュールに見えるのは、それが心を病んだ人々の世界を描いているからだ、というわけであろう。面白いのは、この映画の中の精神病院が、あたかも監獄を思わせることだ。入院患者たちは、独房に監禁された囚人のようだし、囚人の世話をする職員は監獄の獄吏か看守を思わせる。その看守が、患者の女に思いを寄せるというのが、この映画の基本プロットだ。

映画では、言葉による説明を一切省いているので、まともには伝わってこないのだが、世話焼きの男が入院患者の女に寄せる異常な感情や、病院を訪ねてきた若い女とのやりとりには、それなりの背景設定があるらしい。男が思いを寄せる入院患者の女は男の妻であり、若い女は彼の娘だという解釈もある。そのように思えば、映画の中で展開される男と女の関係や若い女の位置づけもはっきりと見えてくる。しかし上述したように、映画では言葉による説明は一切なく、映像からも人間同士の関係が見える形で伝わってこないので、観客の目には、そうは見えないかもしれない。

ともあれ、この映画が作られた時代の日本には、精神病院などというものは珍しかった。それ以前に、監獄さえも整ってはいなかったと思われる。一応欧米流の近代的な監獄はあったが、それは人々の日常からは隔離されたところにあったし、精神病院にいたっては、近代的なレベルには達していなかったと思われる。そんな時代であるから、精神病院と監獄が同じような目で見られるのはある意味無理のないことであり、その中で生きている人間の世界が、日常世界とは次元を異にした、ある種のあの世であるかのように受け取られるのも無理はないことだった。この映画にはそうした時代の限界が付きまとっているといえる。

なお、映画のはじめのほうで、精神病の患者が踊るシーンがあり、その中で太陽らしきものを背にした女が布を振りかざしながら躍るところが出てくる。女の仕草から見て、それが卑弥呼あるいは太陽の女王=天照大神をイメージしていることが伝わってくる。これは、「日輪」が上映できなかったことへの、衣笠なりの意趣返しだったのかもしれない。もしそうだったとしたら、衣笠は気骨のある男だったといえよう。





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