壺齋散人の 映画探検
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赤西蠣太:伊丹万作と片岡千恵蔵



伊丹万作はいまでは、俳優兼映画監督の伊丹十三の父親そして作家の大江健三郎の義理の父親として知られているが、自分自身は映画監督だった。彼の映画監督としての活動は、片岡知恵蔵と切っても切れない。彼が映画作家としてデビューしたのは、千恵蔵に迎えられたからだし、その映画作りの実績も千恵蔵プロでの活動が中心だった。だから彼は、千恵蔵プロ(昔風にいえば千恵蔵一座)の座付き作者としての道を歩んだと言ってもよい。

伊丹万作は当然のことながら、片岡千恵蔵を主演とした映画を数多くつくった。それらはいまみても傑作ぞろいと言ってよい。なかでも「赤西蠣太」は、傑作中の傑作だ。この映画は、伊丹万作自身の代表作であるにとどまらず、片岡千恵蔵の代表作でもある。片岡千恵蔵といえば、戦前から戦後にかけての日本映画を代表する大スターだったわけだから、その大スターの代表作と言えば、日本映画の代表作といっても、あながち不当ではない。それほどこの映画は優れた映画と言えるのだ。

この映画はとにかく面白い。見ていて飽きない。その要因は、無論伊丹万作の演出の妙にあるわけだが、それ以上に千恵蔵の演技にある。この映画の中の千恵蔵は実に生き生きとしている。歌舞伎役者らしく表情が豊かで、身振りも型にはまっており、しかもユーモアのセンスも抜群だ。こんな俳優は世界映画史上でもそう多くはないのではないか。この映画の中の千恵蔵は、ジャン・ギャバンとバスター・キートンをミッスクしたような、なんとも不可思議で、しかもスケールの大きさを感じさせる。

この映画は、いわゆる伊達騒動をもとにしている。この騒動を志賀直哉が脚色して「赤西蠣太」という短編小説を書き、その短編小説をもとにして伊丹万作が映画を作った。万作は千恵蔵一座の座付作者として千恵蔵を最大限カッコよく見せねばならぬ立場にあったから、彼なりの知恵を働かせて、どうしたら千恵蔵を現物以上に魅力的に描くことができるか、頭を働かせたのだろう。その結果思いついたのは、千恵蔵の二枚目の側面と三枚目の側面を併せて表現するとともに、歌舞伎役者としての千恵蔵の魅力も盛り込もうという目論見だった。この目論見をマルチスケールで実現するために、万作は千恵蔵に二役までやらせたわけである。

伊達騒動というのは、徳川時代の初期に起きた仙台藩のお家騒動で、さまざまな事件からなっている壮大な物語なのだが、なかでも伊達兵部と原田甲斐のからんだ刃傷事件が有名だ。この事件は「先代萩」というかたちで歌舞伎の舞台に取り上げられ、それをもとにして志賀直哉が「赤西蠣太」を書いたわけだ。赤西蠣太は志賀直哉の創作した人物らしいが、原田甲斐は無論実在の人物である。万作はこの二人の人物像を、千恵蔵というひとりの人格を以て表現しようとした。それによって千恵蔵の魅力をマルチスケールで表現できると考えたのだろう。

その意図は大いに当ったといえる。千恵蔵は、赤西蠣太役を通じて、二枚目から三枚目半にかけての広い芸域を存分に演じることができたばかりか、原田甲斐役を通じて、歌舞伎役者特有の魅力も存分に発揮できた。なにしろ、赤西蠣太の千恵蔵は、スパイとしての職務を忠実に果たしながら、恋のアドヴェンチャーにも余念がないという点では、あのジェームズ・ボンドを演じたショーン・コネリーも顔負けだし、原田甲斐を演じた千恵蔵は、歌舞伎特有のあの芝居がかったしゃべり方をするかと思えば、刃傷場面では歌舞伎役者一代の名演技を披露する。こんな演技を見せられたら、誰だっていかれてしまうに違いない。

そんなわけだから、原作者の志賀直哉が試写会でこの映画を見せられたときに、これはわたしの原作よりずっとすばらしい、といったのも無理はない。それほどこの映画のなかの千恵蔵がすごかったということだろう。とにかくこの映画は、ストーリーなど問題にならない。問題になるのは千恵蔵の魅力なのである。





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