壺齋散人の 映画探検
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土:内田吐夢



内田吐夢は日本映画の草分けの一人で、佐藤忠男によれば「汗」とか「生ける人形」とか、社会問題への視線を感じさせる映画を作っていた。1939年の「土」は、そうした傾向の典型的なもので、内田の戦前の代表作といえるものだ。これは、戦前の日本の農村の状況を淡々と描いたもので、小作人たちの貧しい暮らしぶりが、あたかもドキュメンタリーのような感じで描き出されている。

舞台となったのは茨城県の霞ヶ浦あたりの農村地帯。そこで暮らす小作人の一家の生活が描かれている。彼らは粗末な小屋に住み、地主から借りた小作地を耕している。収穫の大部分は地主に持っていかれるので、自分の手にはいくらも残らない。そこで毎年借金が重なる一方で、あるときには食うにも困るような状態に追い詰められる。それでも、小作人同士で助け合い、何とか命をつないでいるといった有様だ。

その小作人たちと地主の関係は、ただの経済関係ではなく、身分的な上下関係と言えるようなものだ。小作人たちは、収穫の大部分を地主に取られるだけではない、折節に地主の為の労働に借り出される。そのさまを見ると、小作人というよりも農奴といったほうがよいのではないか、そんなふうに思える。

この映画の中の一家は、夫婦とその子どもそして妻の父親の四人家族だ。夫の勘次は入婿ということになっており、家族の内部ではしょっちゅう妻や義父と口喧嘩をし、村の仲間からはつまはじきになっている。働きがよくないというのが、どうもつまはじきの理由らしい。

一家がしょっちゅう口喧嘩をしているのは貧しさのあまり心の余裕がないからだ。そのうちに、子どもと祖父が暖炉のそばで芋かなんかを食っている最中に火を出して、家が丸焼けになってしまう。幸い軽い怪我をしただけですんだが、祖父は住む場所を失い仲間の家に居候をする。その仲間は、勘次がなかなか祖父を引き取らないと言って非難をする。勘次としては、引き取りたくても、その余裕がないのだ。そうこうするうち、祖父は自分が邪魔になっていると観念し、仲間の家を飛び出して放浪するところを娘に助けられるが、ついには力尽きて死んでしまう。

こんな具合で、この映画にはまったく救いというものが見られない。貧しい小作農たちが、貧しさに虐げられ、犬のようにはいつくばって生きているさまが、それこそドキュメンタリーのように、淡々と描き出される。見ているほうとしては暗澹たる気分にさせられるばかりだ。

この映画のなかの小作人の状態は、当時の日本、特に茨城を含む北関東から東北にかけて、普通に見られるところだったのだと思う。内田はそれを、あたかも記録映画を作るような感覚で、淡々と描き出したわけであろう。そこには、こうした現状に対する直接的な批判は表現されてはいないが、しかし誰もが農村の窮状について考えずにはいられないような迫力を感じさせる。

これが労働者の窮状をテーマにして、資本家たちの強欲を批判するような内容だったら、おそらく官憲の弾圧するところとなったに違いない。この映画がそうした弾圧を逃れたのは、農村の窮状を語ることが当時はタブー視されていなかったということを反映しているのであろう。

2・26事件が起きたのはこの映画の作られる三年前だが、この事件は農村の窮状に危機感を覚えた青年将校たちが中心になって起こしたものだ。そうした青年たちの多くは農村出身だったから、彼らが農村の窮状を憂えることを止めることは出来なかった。その延長で、内田のような人間が農村の現状を取り上げて、農民たちの悲惨な状況を訴えても大目に見られたということなのだろう。

この映画は、1939年に作られたものとしては、保存状態がよくない。画面もそうだが音が極端に聞き取りづらい。登場人物がみな茨城弁を話しているので、余計に聞き取りづらい。筆者が見たのは、どういうわけかドイツ語の字幕つきのものだったので、聞いてわからないところを字幕で補ったというような具合だった。





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