壺齋散人の 映画探検
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若い人:豊田四郎



豊田四郎は文芸作品の映画化を得意とした。文芸作品というと漠然としているが、昭和時代にこの言葉を使うと、それには西洋かぶれの作品というイメージがまといついていた。それまでの日本の伝統的な文芸といえば、説経や講談など語り物の延長で、それを芝居にすると新派劇のようなものになった。それに対して新しい文芸作品は、洋風のハイカラさを感じさせた。豊田は映画の中にそうしたハイカラさを持ち込んだわけである。

原作は石坂洋二郎の小説である。石坂は文芸作家の中でももっともバタ臭さを感じさせ、戦後「青い山脈」以下そうしたバタ臭い作品が大量に映画化された。彼の自由と民主主義を旗に掲げた脳天気な作品群は、戦後の人びとの趣味に大いに応えたのだったが、豊田の「若い人」はそんな石坂の傾向的な作品を戦前の段階でいちはやく取り上げた、記念すべき映画といってよいものである。

函館にあるミッション系の女学校が舞台になっている点で、それだけでもバタ臭さを感じさせるのだが、そこを舞台に女学生が教師に恋心を抱くにいたっては、それまでの日本人には思いもよらぬようなバタ臭い話になる。しかも教師は色男で、女学生に慕われるほかに、同僚の女教師からもモーションをかけられる。そういったところは古い三角関係といえないでもないが、この映画の斬新なところは、これら三人が因習的な日本人から見ると、まったく飛んでいるということである。

女学生はあくまでも自分の欲望に忠実で、教師から愛されることを熱烈に願う。そんな女学生の思いを男の教師はまんざらでもなく思うが、かといって彼女の熱情に応えてやろうというわけでもない。彼は非常に理知的なインテリなので、感情に流されるままに思春期の少女を抱いたりはしないのだ。

一方、この男教師に関心を持っている女教師は、男に対して教師としての立場をわきまえ、女学生を教育的に導くべきだと主張したりする。この女教師と男教師の話しているのを聞くと、当時の日本人は異星人の会話を聞いているような感じを抱いたに違いない。

こんなわけで、思春期の少女と成人男性との恋を描いているにかかわらず、映画からはエロティックな感じは全く伝わってこない。伝わってくるのは、やたら理屈っぽい人たちだな、という印象だけである。

こうした理屈っぽさは、当時の庶民にも異様に映ったに違いないが、権力者の目からみれば実にけしからんと映っただろう。なにしろこの映画が公開された1938年は、日本中が戦争気分に包まれていた。若い男はどんどん戦地に派遣され、恋愛などしている暇はなかったはずだ。そんな時期に、若い男がひよこのような娘といちゃいちゃしながら暇をつぶしている。国全体が戦争の勝利に向けて気勢をあげねばならぬ時期に、この映画は男子を軟弱にし、女子のわがままを助長している。実にけしからぬ。権力者からはそう思われたに違いない。

もっともこの映画は上映禁止処分にはならなかった。それどころか、大ヒットを記録した。それは息苦しい世相の中で、庶民はこの映画にささやかな息抜きを感じたということなのだろう。

この映画は、今の時点で見ると実にくだらないと映るのだが、当時の日本人にとっては必ずしもそうではなかったわけである。





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