壺齋散人の 映画探検
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煙突の見える場所:五所平之助の映画



五所平之助は、戦前から大家と呼ばれた作家で、日本の映画監督としては珍しく、青春映画や若い男女の恋愛を描くのが得意だった。川端康成原作の「伊豆の踊子」はその代表作とされる。伊豆の踊子には、小柄な田中絹代がまだあどけなさの残る踊り子役を演じたと言うが、田中絹代はこのほかにも、多くの五所作品に出演している。

「煙突の見える場所」は、やはり田中絹代を主演にした映画で、戦後の五所の代表作といわれるものである。五所の作品は、ほとんどDVD化されていない中で、この作品はレンタル・ショップで借りることもできる。

この作品は椎名麟三の短編小説「無邪気な人々」を映画化したものである。筆者はこの原作小説を読んではいないが、世田谷を舞台にしているという。ところがこの映画では、題名にあるとおり煙突の見える場所が舞台となっているから、原作とは全く違うシチュエーション設定である。恐らく五所は、話の筋としては椎名の短編小説を採用しながら、映画の舞台には世田谷ではなく、煙突の見える下町を選び、そこで展開される庶民の哀楽を描こうとしたのだろう。

映画の中に出てくる煙突とは、昔東京の千住にあった東京電力の発電所の煙突で、地元の人々からお化け煙突と呼ばれていたものだ。全部で4本あるこの煙突群は、見る角度によって、三本に見えたり、二本に見えたり、一本に見えたりする。その変幻自在なところがお化けのようだというので、お化け煙突と呼ばれたわけである。この映画では、その煙突が三本に見える場所が舞台となっている。そこは荒川区の町屋あたりで、しかも荒川の土手に近いところというふうになっている。

そこに二組の男女が暮らしている。一組は中年の夫婦者(上原謙と田中絹代)で、自分たちも借家住まいなのだが、その借家の二階の部屋を若い男女(芥川也寸志と高峰秀子)に又貸している。田中絹代は再婚で、前の夫とは死に別れたと今の夫に言っている。そんな妻に、夫はなんとなくよそよそしさを感じ、ときたまそれがもとで夫婦喧嘩をしたりする。一方、若い男女の方は、隣り合わせの部屋に住みながら、一応はプライバシーを守りあっているのだが、二人とも相手の存在がまんざらでもないといった風情だ。

ある時、この家の住人たちが不在の折を見て、何者かが赤ん坊を置き去りにしていく。当然のことながら、皆驚く。もっと驚いたことには、子どもの傍らに一枚の書置があって、それには、この子は塚原某という自分と妻弘子(田中絹代)との間の子どもだと記されており、それを裏付ける物として戸籍謄本が添付されていた。その戸籍謄本には、弘子は塚原の妻となっており、この子は彼らの間に生まれたということになっていたのである。

そこでびっくりした亭主が妻を追求すると、妻が思いがけないことを言い出した。自分は戦争中の空襲で、夫を含め家族をすべて失った。その際に戸籍をきれいにして自分ひとりになり、その後あなたと結婚した。しかし、いまこうして塚原の戸籍に自分が載っているのを見ると、どうやら自分の戸籍は二重になっているらしい、と。それを聞いた亭主は更にびっくりして、もしそうなら自分たちは重婚罪に問われると言って大騒ぎをする。その騒ぎをよそに赤ん坊は泣き続け、自分の存在を主張しつづけるというわけなのである。

そんな状態に絶望した田中絹代が、自分の運命をはかなんで、荒川に入水して死のうとしたりする一幕があった後、上原夫妻の苦境に同情した芥川也寸志が、勤めを休んで塚原の所在を追跡し始める。彼は税務署の税金取立吏員をしており、自分の仕事に嫌気をさしていたのだったが、その気晴らしも兼ねて、東京の街を、塚原の姿を求めて探し回るのである。このシーンがまたなかなか時代を感じさせて面白い。黒沢の「野良犬」の追跡シーンに出てくる東京の街もそうだったが、この時代の東京はまだ敗戦の痛手から立ち直っておらず、街のいたるところにその傷跡が残っている。この映画の場合には、廃墟の跡に建ったバラックだとか、闇市の面影を引きずっていると思われる都心の風景だとかだ。

芥川はやっと塚原の所在を突き止める。彼は意外と近くに住んでいたのである。そこで塚原を追求すると、その情婦の所に連れて行かれ、子どもを捨てたいきさつを知らされる。その子は、この情婦に産ませた子なのだが、情婦が育てるのを嫌がって自分に押し付けたので、仕方なくまだ戸籍上は夫婦である田中絹代に押し付けることにしたというのだ。

この話を聞かされた田中と上原の夫妻は、子どもを塚原に返すわけでもなく、かといって子どもを親身に世話するでもなく、ずるずるとその日その日を暮らしていく。そのうち子どもが熱を出して死にそうになる。往診に来た医者は、お前たちは子どもがこんなになるまで放っておくなんて、親の風上にも置けない、といって夫婦を非難する。そこで夫婦もやっと目覚めたのか、必死になって子どもを看病する。

その看病の甲斐があって、子どもは元気を取り戻す。そこへ子どもの本当の母親がやってきて、子どもを返してくれという。それに対して、今や子どもに愛情を感じ出した夫婦は、手放すことに抵抗を感じるのである。

こんなわけで、この映画は、捨て子を巡って繰り広げられる人間模様を描いたものである。その人間模様の中に、なによりも戦争が大きな影を落としている。戦争のおかげで、田中絹代は心に深い傷を負ったということになっており、また、二重戸籍といった事態も戦争がなければありえなかったことだと主張されている。

また、芥川也寸志も税務署の税金取立役人として、弱い者を追い立てる役柄なのだが、そうした弱いものたちは、戦争の痛手から立ち直れずにいて、税金を払いたくても、払うべき金がないのだというふうに描かれている。

結局夫妻は子どもを母親に返すことにする。子どもを返すことで、二人はこれから、二人だけの生活を築き挙げていこうと決意する。一方、若い二人も互いの愛を確認しあう。そうすることで、芥川の方は、生きていこうという新しい勇気を得るのだ。この映画は、このように前向きな結末になっていることで、見ている者を救われた気分になし得ていると思う。

なお、千住のお化け煙突は、この映画のおかげで全国的に有名になった。同じ年の1953年には、小津安二郎の「東京物語」の中でも、この煙突の見える光景が紹介されていたが、東京物語がさらりと触れているだけなのに対して、この映画では、煙突の醸し出す不思議な面白さがことこまかく紹介されていた。この煙突のことは、筆者も子供の頃何度も周囲の話題になるのを聞いたことがある。オリンピックの年(1964年)に解体・撤去された。





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