壺齋散人の 映画探検
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地獄門:衣笠貞之助の映画



衣笠貞之助の映画「地獄門」は、黒澤明の「羅生門」、溝口健二の「雨月物語」とともに、国際映画祭でグランプリを受賞した最初の日本映画のひとつとして、映画史上重要な意義をもっているが、その割には、作品の価値が高いとは、どうも思えない。日本の時代劇映画としては、とりわけ個性的というわけでもなく、また趣味がいいわけでもない。というより、悪趣味に堕した映画だとさえいえる。それがなぜ、国際的な評価を得たのか。

評価されたのは、映画の実質的な内容よりは、様式的な美しさだったのだと思う。様式的な美しさという点では、「羅生門」と「雨月物語」の場合にも、高い評価の源泉になっていた。羅生門の場合には、日本の美しい風景が見るものに訴えかけ、雨月物語の場合には、日本的な立ち居振る舞いや日本の伝統芸能の独特の美しさが、西洋人に新鮮に映ったというふうに解釈されている。地獄門においては、そうした日本の美しさが、色彩豊かに表現されたということで、あらためて西洋人の目に新鮮に映ったのだろう。

映画の中では、男女それぞれ色鮮やかな衣装を着ている。衣装のほかにも、風景や景物の色彩も、ヨーロッパ的な感覚とは異なった独特の世界を表現しえている。実際、衣笠は、そうした様式的な美しさをこの映画の中に表現するように意図したようである。この映画は、彼にとっては最初のカラー作品だったから、彼がそうした意図を持ったとしても不思議ではない。そしてその意図は、理想的な形で実現した。この映画が国際的に高い評価を得たのも、その衣笠の意図を、国際社会が理解した結果だったのだろう。しかし、日本映画が、様式的な独特さだけで賞をとるような事態は、これが最後になった。これ以後の映画で、国際的な評価を得た作品は、みな実質的な内容が評価基準になったのである。

この映画の実質的な内容といえば、実にたわいないものである。院政末期の混乱の時代、ある北面の武士が同僚の妻に横恋慕をする。ところが妻は自分になびかない。そこで彼女を力ずくで自分のものにしようとする。切羽詰った女は、一計を弄して男に自分を殺させ、それによって自分の操を守る、という内容である。横恋慕する男も身勝手で見苦しいが、それに言い寄られる女の方も、主体性も何もなく、ただただ出来事の成り行きに流されていく。見ていて、いらいらさせられるような筋書きなのである。この映画が国際的な評価が高かった半面、日本人にはあまり評判がよくなかったのは、こうした筋書きが、多くの日本人にとって、あまりに馬鹿馬鹿しく感じられたからだろう。

この映画に出てくる北面の武士遠藤盛遠は、歴史上に名高い僧侶文覚の青年時代の名である。文覚は、伊豆に配流されていた時期に頼朝と親交を結んだことがきっかけになって、鎌倉時代の初期に非常に大きな権勢を誇った人物だが、人間としてはなかなか癖のある男だった。その癖の悪さをことあげされて、不名誉な逸話を流されるようにもなったのだったが、そうした不名誉な逸話の一つとして、同僚の妻に横恋慕して、理不尽なことを行ったという話も生まれたのだろうと思われる。

盛遠の横恋慕の話は、「源平盛衰記」の中に出ており、そこでは、横恋慕の結果愛する女袈裟御前を殺してしまった償いに出家したということになっている。「愚管抄」ほか同時代の記録には、そうした話は出てこないから、源平盛衰記の創作である可能性が高い。後に芥川龍之介が、源平盛衰記に基づいて「袈裟と盛遠」を書き、菊池寛が「袈裟御前」を書いた。この映画は、菊池寛の小説をベースにしている。

題名の「地獄門」は、この映画だけでの命名である。保元の乱のあとで、信西が敵方の首をこの門の前にさらしたことから「地獄門」と呼ばれるようになった、というふうに登場人物に言わせているが、それは、プロデューサーの永田雅一の意向だったようだ。永田は、「羅生門」の成功に気をよくして、タイトルに「門」の字を入れることで、二匹目のどじょうをねらったのだろうと、映画評論家の佐藤忠男などは推測している。

盛遠を演じた長谷川一夫は、役としっくりあっていないという印象に見える。この永遠の二枚目といわれた役者には、悪役は似合わない。長谷川一夫があくどい言葉を吐いたり理不尽な振る舞いに及んだりすると、それは本心からそうしているのではないというような、しらけた雰囲気を感じさせる。とにかく二枚目の長谷川一夫が、これもまた絶世の美女京マチ子に言い寄り、俺の言うことを聞かないと、お前の愛する者らを皆殺しにするぞと脅す、というような設定は、長谷川一夫には全く似合わない。まして、京マチ子演じるところの美女が、男の剣幕に煽られて、いうことを聞くと応えるにおいては、何をかいわんやである。

こんな理不尽な筋書きは、子どもの目にも馬鹿馬鹿しく映るだろう。それでも、破綻せずになんとかまとまっているのは、長谷川一夫という千両役者の、千両に値する所以だろうか。

なお、衣笠貞之助は女形の俳優として出発し、後に映画監督に転身したというユニークな経歴の持ち主である。黎明期の日本の映画も、歌舞伎同様男が女を演じていたが、やがて映画会社が女優を採用するようになると、女形の俳優はお払い箱となった。そこで大勢の女形は進路の変更を迫られたわけだが、衣笠の場合には、監督に転身して成功を収めた。「狂った一頁」などは、日本映画史上最初の芸術的作品として、評価が高い。





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