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裸足の1500マイル(Rabbit-Proof Fence):フィリップ・ノイス



フィリップ・ノイスのオーストラリア映画「裸足の1500マイル(Rabbit-Proof Fence)」は、1930年頃のオーストラリアにおける、白人による原住民の人種差別的な政策を取り上げたものである。この頃、西オーストラリア州では、原住民(アボリジニ)と白人との間の混血児は、白人社会へ同化させるために、強制的に親から引き離され、施設に収容されていた。この映画は、そうした施設に収容された混血児の少女たちが、施設を脱出して1500万マイルの距離を歩き抜き、ついには親の元へ帰還するという物語である。

映画のもととなったのは、この映画に出てくる少女モリーの娘であるドリス・パーキントンが、母親の体験記として著した「兎除けのフェンスを追って(Follow the Rabbit-Proof Fence)」である。この体験記を、筆者は未見だが、テーマから想像されるほどポレミックなものではないようだ。西オーストラリアの広大な砂漠の中を、三人の少女たちが、兎除けのフェンスを唯一の手がかりにして、気の遠くなるような距離を歩いていく。その過酷な旅を淡々と描いているということのようだ。

しかし、映画を見ている観客には、少女たちの過酷な体験を通じて、その背後にあるオーストラリアの白人社会の人種差別的な体質が、露骨に伝わって来る。これは事実だけが持ちうる迫力の賜物だろう。映画の主人公たちには、自分自身に直接かかわる事実だけが意識に上るのだが、その小さな事実が、その背後にある大きな事実を、はからずも指示するというわけである。

映画は、パースの北方2千数百キロの地点にあるジガロングという所に暮していたアボリジニの中から、混血の少女三人がピックアップされ、パース近くにあるムーンリヴァーの施設に収容されるところから始まる。この施設には、大勢のアボリジニの混血児が収容されていて、白人社会に同化するように教育されている。その政策を推進しているのは、ネヴィルという原住民対策を所管する役人だ。彼は、混血児を白人社会に同化させることは、彼らを野蛮な風習から守ってやるという意義を持つほかに、白人社会の安定にも寄与すると思い込んでいるのである。だから、彼には彼なりの道義心があるのだが、それはアボリジニにとっては迷惑以外の何ものでもない。その証拠に、施設に収容されたアボリジニの混血児たちは、彼の名をもじって、デヴィルと呼んでいるのである。

主人公たちは、モリーと言う14歳の少女、彼女の妹で8歳のデージー、10歳の従妹グレーシーだ。親たちの泣き叫ぶのを目にしながら、無理やり連れ去られた彼女たちは、ムーンリヴァーの施設に連れて行かれる。そこで待っていたのは耐え難い生活だった。脱出を試みる子供もいるが、例外なく連れ戻されて、お仕置きを受ける。施設には、原住民の男が、腕利きの追跡人として採用されていて、逃げ出した子どもたちを、足跡を手掛かりにして、容易に見つけ出してしまうのだ。

どうしたら無事脱出できるか、小さな頭を捻ったあげく、モリーは他の二人をつれて脱出する。すぐそのあとから追跡人が追いかけて来るが、彼女は雨や川の流れを利用して足跡を残さず、追跡人の追跡をかわそうとする。追跡人のほうは、そんな彼女の努力を推測して、子どもながらあっぱれだと感心するのだ。

やがて、本格的な追跡が始まる。その追跡をかわして逃げ続けるのは容易なことではない。それ以上に問題なのは、不毛の砂漠を歩く難しさだ。食料は、途中たまたま出会った人々の行為に甘えたりした。またジガロングまでの道筋は、行きがかりの人から、兎除けのフェンスを追って行けばよいと教えられた。めざすジガロングも兎除けのフェンスの脇にあったから、このフェンス沿いに歩いていけば、いつかはジガロングにつけるはずなのだ。

追手のほうも、彼女らの動向を推測して、途中で待ち伏せたりする。その結果、グレーシーが待ち伏せに引っかかって捕まってしまう。彼女は、途中で出会ったある男から、母親がある場所に待機して彼女を待っていると聞かされ、気が転倒してしまうのだ。その母親は、ただの囮として利用されただけで、捕まったグレーシーと会えることはなかった。

過酷な砂漠の中を最後まで歩き続けたモリーとデージーは、歩きはじめてから9週間後に、ついにジガロングに到着する。娘たちが、施設を逃げ出してジガロングに向かっていると知った母親は、なんとか娘たちを安全な場所に保護したいと願う。そこで、娘たちを待ち伏せしている役人に、一か八かの戦いを挑む。母親は大きな槍を構えて役人を威嚇し、追っ払ってしまうのである。

こうして二人の少女は母親と対面出来た後、砂漠の一角にひっそりとかくまわれた。モリーはその後結婚し子供も生まれたが、母子揃ってまたムーンリヴァーに連れていかれてしまった。その際には、モリーは子どもを連れて再び脱出したのであったが、その後、またもや子どもをムーンリヴァーに奪われたまま、二度と会うことはなかった(この子はモリーの二人の娘のうちアナベルのほう、体験記を書いたのはもうひとりの娘ドリス)。また、最初の脱出で別れ別れになったグレーシーとも、その後会うことはなかった。そう淡々と語るモリーの言葉を以てこの映画は終わるのである。





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