壺齋散人の 映画探検 |
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イラン映画の歴史は20世紀の始めまで遡るようだが、国際的な注目を集めるようになったのは、1979年のイラン革命以後のことだ。アッバス・キアロスタミの「友だちのうちはどこ」以下の三部作が世界の注目を集め、「桜桃の味」がカンヌでパルム・ドールをとると、それに刺激された形で、新しい世代の映画監督たちが、次々と傑作を生みだしていった。だからイラン映画は、比較的新しく、しかも欧米の映画とは一風変わった作風の映画として、国際的に評価されるようになった。 アッバス・キアロスタミは、革命以前から映画作りを始めていたが、本格的に映画を作るようになったのは、革命以後である。イラン革命は、シーア派の権威を高めたもので、そのシーア派は、文化に対して抑圧的な態度で臨んだので、そういう時代に映画がかえって栄えるというのは不思議な現象であるともいえる。だが実際には、そうした抑圧と妥協したり、あるいは反発したりしながら、イランの映画作りは進んできたのである。 キアロスタミは、比較的穏健な立場で映画を作ったので、権力との軋轢はあまりなかったようだ。かれの作品は、「友だちのうちはどこ」に代表されるが、それは現代のイラン社会に生きる人々を、率直に、淡々と描いたもので、批判的な視点を前面に押し出しているわけではないが、イラン社会自体が大きな問題を抱えているので、それを率直に表現することでは、図らずして現代イラン社会を批判しているという効果も指摘できよう。 権力と正面からぶつかったのはジャファル・パナヒだ。パナヒは「チャドルと生きる」とか「オフサイド・ガールズ」などの作品を通じて、同時代のイランを徹底的に批判したために、たびたび上映禁止の仕打ちを受けた。 キアロスタミとパナヒを両極として、大部分の監督はその中間に位置していると考えてよい。アスガル・ファルハディは、イラン人の生き方を淡々と描き、その生き方の特殊な性格を世界に向かって発信した。また、アボルファズル・ジャリリもイラン人の生き方を如実に描いたが、その画面からは、イラン社会の遅れた側面がよくわかるように伝わって来る。 イランはイスラム教シーア派の国であり、シーア派がスンニー派以上に教条的なことはよく知られている。宗教が生活の中に溶け込んでいるわけだが、そういうイラン人の宗教意識は、イラン映画のほとんどから伝わってくるのではないか。ここではそんなイランの映画の中から代表的な作品を取り上げて、鑑賞の上適宜解説・批評を加えたい。 モフセン・マフマルドフ「カンダハール」:アフガン戦争直前の状況 モフセン・マフマルドフ「独裁者とその孫」:ある独裁者の没落 アスガル・ファルハディ「別離」:イラン人の信仰 アスガル・ファルハディ「彼女が消えた浜辺」:浜辺に集う若者たち アスガル・ファルハディ「ある過去の行方」:イラン人の夫とフランス人の妻の離婚 アスガル・ファルハディ「セールスマン」:夫婦関係の危機 ジャファル・パナヒ「チャドルと生きる」:現代イランンの女性ジャファル・パナヒ ジャファル・パナヒ「オフサイド・ガールズ」:サッカーに熱狂する少女たち ジャファル・パナヒ「人生タクシー」:タクシー・ドライバーから見たイラン社会 モハメド・アリ・タレビ「柳と風」:少年の友情と使命感 アボルファズル・ジャリリ「ダンス・オブ・ダスト」:イランの民衆の過酷な生活アボルファズル・ジャリリ アボルファズル・ジャリリ「ハーフェズ ペルシャの詩」:コーランの暗唱 バフマン・コマディ「ペルシャ猫を誰も知らない」:現代イランの若者たち アッバス・キアロスタミ アッバス・キアロスタミ「トラベラー」:サッカーに熱狂する少年 アッバス・キアロスタミ「友だちのうちはどこ」:少年のひたむきさ アッバス・キアロスタミ「ホームワーク」:イランの少年たち アッバス・キアロスタミ「そして人生はつづく」:イラン大地震傷跡 アッバス・キアロスタミ「オリーブの林をぬけて」:新婚夫婦の日常 アッバス・キアロスタミ「桜桃の味」:自殺志望者の気持ち アッバス・キアロスタミ「風が吹くまま」:イランの農村地帯の日常 アッバス・キアロスタミ「トスカーナの贋作」:偽の夫婦を演じる中年男女 アッバス・キアロスタミ「ライク・サムワン・イン・ラヴ」:日本らしさを感じさせない日本映画 |
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