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ジャファル:パナヒ「人生タクシー」:タクシー・ドライバーから見たイラン社会



ジャファル・パナヒの2015年の映画「人生タクシー」は、アメリカン・ニューシネマの傑作「タクシー・ドライバー」のイラン版といってよいような作品だ。タクシー・ドライバーの目を通して、その国の同時代のさまざまな側面が浮かび上がって来るということになっている。おのずから批判的な傾向を帯びがちだが、この作品の場合も、それとは明確に意図しないままに、反体制的な内容になっている。パナヒはその反体制ぶりで、なんども権力の弾圧を受けて来たが、そうした弾圧をものともしないというメッセージが、この映画からも伝わって来る。

面白いのは、パナヒ自身がタクシー・ドライバーに扮していることだ。しかも、タクシーの乗客から、パナヒとして認知されている。パナヒはおそらく、イランでは有名人なのだろう。彼の代表作は、イラン国内では上映されることがなかったので、どのようにして有名になり、しかもその顔が広く知られることになったか、興味深いところだ。

ともあれ、映画の中では、パナヒが運転するタクシーに、様々な人たちが乗り込んで来る。イランのタクシーは相乗り制をとっているようで、一時に複数の、互いに見知らぬ人々が乗り込んで来る。窃盗屋を自称する男と学校の教師、CDのレンタル屋、交通事故にあった男とその妻、二人の老女は金魚鉢を抱えて乗り込んで来る、その老女を他のタクシーに乗せて姪が通っている学校まで飛ばし、姪をタクシーに乗せる。これはタクシーの業務というよりは、私的な業務である。その姪をつれて、幼馴染みだという男に会いに行く、そして一人の美しい女をタクシーに乗せるのだが、その女は、スポーツの試合を見物した罪で監獄にぶちこまれている女性の支援にいくところなのである。女性がスポーツの試合を見たことで逮捕されるというのは、「オフサイド・ガールズ」のテーマでもあったわけだが、その「オフサイド・ガールズ」は、反体制的だという理由で、上映許可がおりなかった。

この女性は露骨に体制を批判するのだが、そのほかの乗客にも、体制批判をするものはいる。たとえば最初に乘りこんできた自称窃盗屋は、いまのイランには泥棒が多すぎるから、見せしめのために死刑にすべきだと、これは自分の立場をわきまえずに、持論を披露する。また、これは客ではないが、姪は学校で映画作りをしており、その際の心得を叔父に語って聞かせる。主人公の名はイスラムの聖人の名であるべきで、ネクタイをしていてはいけない、また政治的な話題にふれてはならない、でなければ上映許可が下りない、といった具合だ。

その他、天国に行けるのはお偉方ばかりだとか、拾った金を返してやらなくてもあいつらは困らないからいいのさとか、なかなか辛辣な言葉が随所で出て来る。そうした言葉を聞かされると、現代のイラン社会が抱えている問題が、おのずから浮かび上がって来る。それを権力者が不都合に思うのは無理もない。

映画は、タクシーのなかに財布を置き忘れた二人の老女に、ドライバーが返しに行く場面で終わっているのだが、その終わり方が、どうも中途半端で、不自然だ。いきなり画面が暗黒になり、クレジットの文字が出て来るのである。



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