壺齋散人の 映画探検
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モハマド・アリ・タレビ「柳と風」:少年の友情と使命感



2001年のイラン映画「柳と風」は、少年同士の友情と少年のあふれるような使命感を描いたものだ。そう言うと、アッバス・キアロスタミの名作「友だちのうちはどこ」が想起されるが、それもそのはず、この映画を監督したのは当時かけだしのモハマド・アリ・タレビだったが、脚本を書いたのはキアロスタミだ。こういうタイプの映画が繰り返し作られるのは、イラン人の嗜好を反映しているのか。

イランの雨がよく降る地方の学校が舞台だ。そこに雨が滅多に降らない地方から、一人の少年が転向してくる。少年は雨がめずらしくて、授業中も雨ばかり見ている。そんな少年の態度に担任教師が怒り、少年を教室の外に追いだしてしまう。教室の外には、もう一人の少年が締め出されていた。その少年はあやまって教室のガラスを割ってしまい、その責任をとって、ガラスを取り換えるよう教師に求められている。だが、少年の家は貧しくて、父親にはガラスを取り換える金がない。そんなわけでその少年は、教室から締め出されたあげく、今日中にガラスを取り換えないと、放校処分にすると脅される。

教室の外には、体の大きな少年が、教頭に向って直訴をしている。家が貧しくて働かなくてはならぬので、週に三日休ませてほしいというのだ。教頭は、初めはその少年に説教をしていたが、そのうち、少年の願いを担任に取り次いでやる。

転向してきた少年は、ガラスを割った少年と親しくなる。その少年の苦境を知ると、自分にできることをしてあげたいと思う。始めは家の中の金庫から金を引き出そうとするが、それが無理とわかると、発電所に努めている父親の所に行って、金を用立てしてくれるようにねだる。父親は返済を条件に500トマンの金をくれる。少年はその金を、友だちにわたすのだ。

金を手にした少年は、早速村はずれのガラス屋に行き、老人からガラスを売ってもらう。ところがサイズをはっきりと覚えていないことで、老人からさんざん言われるが、なんとかしてガラスを売ってもらうことに成功する。あとはそれを、教室に取り付けなければならないが、手伝ってくれるもののあてはない。少年は自分で取り付ける覚悟で、そのやり方をガラス屋の老人から教えてもらうのだ。

かくして少年は、大きなガラスを抱えて学校に向かう。ところが折から強い風が吹いて、少年はガラスごと吹き飛ばされそうになったりする。途中体の大きな少年と出会って、かれが乗っていたオートバイに乗せてもらうのだが、風にあおられてオートバイから落ちそうになり、かえってあぶない。そこで再びガラスを抱えて歩きだし、全力を振るって学校までたどり着く。あとは、教室の窓枠にガラスを取り付ける段取りだ。少年は、ガラス屋の老人から教えてもらった手はずでガラスを取り付けようとするのだが、なにしろ小さな体で、ひとりで取り付けるのは至難のわざだ。少年は、汗をかきながら全力をあげるのだが、不運なことに、枠に仮留したガラスは、風にあおられて床に落ち、こなごなに割れてしまう。しかし、絶望してばかりはいられない。幸い少年の手元には、先ほど払った金のおつりが残っている。そのおつりで、またガラスを買うことができる。そう思った少年は、ガラス屋に向って必死になって駆けだすのだ。

こんな具合にこの映画は、少年の一途な思いをテーマにしているのだが、その影には、少年をめぐるイラン社会の現状への、キアロスタミなりの批判意識が込められているようにも思われる。学校の教師には、少年たちへの教育的配慮はほとんど見られないし、少年の親も子供に対して無関心といったふうに、イラン社会では、子供が十分に保護されていない。そんなキアロスタミの思いが、この映画からは伝わって来る。



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