壺齋散人の 映画探検
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アボルファズル・ジャリリ「ダンス・オブ・ダスト」:イランの民衆の過酷な生活



アボルファズル・ジャリリの1992年の映画「ダンス・オブ・ダスト」は、イランの民衆の過酷な生活ぶりを描いたものである。その過酷な生活は、小さな子どもたちも巻き込み、子どもたちはろくな教育も受けられぬまま、親たちと一緒につらい労働に従事する。イランには、こんな過酷な現実があるのかと、思い知らされる作品である。そのような描き方が、イランの政治を批判していると受け取られたらしく、この作品は上映禁止となったそうだ。上映が許されたのは、1998年のこと。

イランの、雨が降らない地方の一角で、レンガ作りを生業にしている人々を描く。その地方に出稼ぎにやって来た一家がいて、その一家の女の子と、地元の男の子が、ひきつけあうようになる。それはおそらく、彼らの初恋だと思うのだが、その初恋は実らない。女の子は病気になるのだが、その病気が治らないうちに、家族と共に村を去っていくのである。彼女に去られた男の子は、心の中に大きな穴ができたように、茫然とする。その茫然とした表情をアップで映しながら映画は終るのである。

この映画は、言葉がほとんど用いられず、人々は表情を始め身体演技でコミュニケーションを図っているように見える。実際、二人の子は、互いに言葉をかけあうではない。自分たちの意志を表明しあいたい時には、互いの名を叫びあうのだ。そんなわけで、この映画は、外国映画だが、字幕がなくても十分に理解できる。じっさい小生がレンタルで借りたDVDには、字幕の機能がついていなかった。それでも、映画の鑑賞にまったく支障を覚えなかったのは、この映画が言葉よりも、表情や身体演技からなっているからだ。

二人の子は、十二歳前後の年頃だろうと思う。その年頃なら、日本人でも、ちょっとませた子は異性に恋愛感情を覚えるものだ。大江勘三郎の小説には、小学生の男の子が、中学生の女の子に妊娠させる話が出て来る。イラン人でも、これくらいの年頃で、男女が愛し合うのは不思議ではない。もっともイランでは男女関係がうるさいらしく、息子の様子がおかしいと思った母親が、息子が少女からもらったレンガを、そこに少女の手形がついているのを怪しみ、井戸の中に放りこんでしまう。その瞬間、少女は大きな叫び声をあげ、病気の床に伏してしまうのだ。

少年は少女のことが気になるが、世間の目をはばかって、少女に近づくことができない。せめてまじないのアイテムを少女の為に捧げることができるくらいだ。それでも少女が回復することはなく、やがて他の村へと旅立ってしまうのだ。少年は自分の無力が情けなく思え、なんともいえない、つらそうな表情をする。その表情には、一人の人間が、もう一人の人間を愛することの切なさがにじみ出ている。と言った具合で、この映画は、小さな子どもたちの悲しい恋を描いた作品になっている。

題名の「ダンス・オブ・ダスト」は、レンガの材料となる砂が、風に吹かれて舞う所をイメージしたものだろう。砂が風に舞うように、少年たちの心は、愛の喜びに舞う、というような思いを込めたもののように伝わってくる。



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