壺齋散人の 映画探検
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トラベラー:アッバス・キアロスタミ



1974年のイラン映画「トラベラー」は、アッバス・キアロスタミの長編第二作であるが、傑作「友だちの家はどこ」と同じようなテーマが扱われている。「友だち」の場合には、友だちの所在を求めて懸命になる少年を描いたのだったが、この映画は、本当のサッカー試合を見たいという少年の執念がテーマだ。その少年は自分の執念を実現するためには、なんでもする。執念の実現に拘ることこそが自分の生きがいなのだ。そのような少年は、今の日本のように、ある意味満ち足りた世界ではなかなか現れない。1970年代のイランのような、社会全体が貧しい環境だからこそ現われるのだろう。

ダッセンと呼ばれる少年は、無類のサッカー好きで、勉強をほったらかしてサッカーばかりやっている。そのため一年落第したほどなのだ。それに加えてこの少年は、道徳観念というものがなく、そのために母親を嘆かせている。そんなダッセンが、自分があこがれているサッカーチームの試合を是非見たいと思う。その試合はテヘランで行われる予定だ。そこで少年はなんとかしてテヘランに行き、その試合を見たいと願う。しかし、少年には必要な金がない。そこで母親から50リアルの金を盗むのだが、イラン行きのバスは片道で100リアルかかることがわかる。少年は計算する。テヘラン迄の往復のバス運賃が200リアル、試合料金が50リアル、バス停から会場までの運賃が50リアル、弁当は持参するとして、全部で300リアルかかる。頭のよくない少年は、必死になってそのことを理解すると、それだけの金を作るのに狂奔するのだ。

少年はまず、自分のもっているガラクタ類を町の商人に売りつけようとするが、誰も買ってくれない。次にカメラを家から持ちだして売りつけようとするが、これもなかなかうまくいかない。そこでそのカメラを使って一商売する。学校の仲間に写真をとってやるといって、小銭を巻き上げるのだ。そのカメラでは写真は撮れないのに。ばれたらなんとか言いごまかそうというつもりなのだ。

それでも目標額には達しないので、少年は自分の属しているサッカーチームの備品を売りつける。これは250リアルで売れた。これで全部で350リアルになった。これだけあれば、バスでテヘランまで行って、サッカーの試合を見ることができる。少年は喜び勇んで家を飛び出し、テヘランをめざすのだ。「トラベラー」というタイトルは、テヘランで行われるサッカーの試合をめざす少年の小さな旅を言い現わしているわけである。

サッカー場にたどり着くと、入場券売り場に並ぶのだが、ちょうど自分の番が来たところで、売り切れだと言われる。途方に暮れた少年はどうしたものかと思案するが、ダフ屋から入場券を買っている人を見て、自分もそのダフ屋から買おうとする。ダフ屋は200リアルでなければ売らないと言う。少年は悪い頭で考える。350リアルあった金がいまは250リアルある。それで200リアルの入場券が買えるはずだ。そう考えると、前後の見境もなく200リアルの入場券を買う。喜び勇んだ少年は、試合がよく見える席を確保するのだが、試合まではあと三時間あると言われ、退屈を紛らわすために、競技場の中をぶらついているうちに、眠くなって草むらで寝てしまう。昨夜から殆ど寝ていなかったのだ。

少年の眠りは深かった。大分時間が経過してから目が覚めた少年は、いそいでサッカー場に戻る。しかしサッカー場はガランとしていて、誰もいない。試合は少年が寝ている間に終わってしまったのだ。

こんなわけでこの映画は、一少年の執念が無残にも打ち砕かれるところを描いているわけだ。こうした映画が作られるということは、イラン社会というのは、少年のそんな執念にも価値を認める社会なのだろうというふうに、我々外国人の観客に感じさせる。とにかくその少年の執念が切迫した形で見る者に伝わって来る。




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