壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真西洋哲学 プロフィール掲示板



アッバス・キアロスタミ「ホームワーク」:イランの少年たち



アッバス・キアロスタミの1989年の映画「ホームワーク」は、前作「友だちのうちはどこ」の余韻を引きずっている。「友だち」では、宿題帳が大きなテーマになっていたが、イランの子どもたちが宿題にあれほどこだわる理由が、この「ホームワーク」というドキュメンタリー映画を見ると、よくわかる。この作品は、小さな子どもたちを相手に、学校での宿題について、インタビューをしている模様を、淡々と映し出すことからなっているのである。

インタビューした子どもの数は、数十人に上る。みな、おそらく小学校の低学年で、あどけなさの残っている表情である。その表情で、インタビューする大人たちの前で、聞かれたことに答える。子どもたちのなかには、利口そうなのもいれば、落ちつきがなく、すぐ泣きだしてしまうものもいる。それらの個性の差に応じて、インタビューが丁寧にすすめられる。

ほとんどの子どもたちは、宿題の重要性がわかっている。しかし、できない子どももいる。その理由は、家に教えてくれる家族がいないというのがほとんどだ。できない理由は色々だが、親が文盲で、勉強を見てやれないというのが多い。アンケート調査によると、この学校では37パーセントの親が文盲だったという。

親や教師からの体罰に子どもたちは敏感である。しかし、自分が親から体罰を受けるのは、自分が悪いからだと言って、親を擁護する子どもが多い。体罰はベルトでなされるのが多いらしく、ベルトへの恐怖をあらわにする子どももいる。一方、子供たちには褒められたことがない子が多いらしく、褒めるという言葉の意味を知らないものもいる。

複雑な家族構成のために悩んでいる子どももいる。父親が複数の妻を持ち、しかも一軒の家に同居しているために、家族の間で紛争が絶えないというのだ。そんな具合で、この映画を見ると、イランの家族のあり方が批判的な視線を通じて伝わって来る。

子どもたちのほかに、親を登場させて、イランの教育制度を批判させてもいる。ある父親は、イランの教育は、詰込みに傾く余り、こどもたちの自主性を損なっているといって批判する。子どもたちの自主性を損なっている国として日本をあげ、日本では子どもの自殺者が多いが、それは日本人が子どもに対して厳しすぎるからだとその親はいう。

その厳しさも、子どものことを考えてのことではなく、親や教師が自分たちのうっぷん晴らしを子どもたちに向けているに過ぎない。これでは子どもが可哀そうだと言って、その親はイランの教育の現状を厳しく批判するのである。

最後に出て来た子どもは、大人たちから質問を浴びるとパニックになってしまい、友だちがそばにいてくれることを願う。自立できていないからだ。しかしそういう子どもはまれで、この映画に出て来たイランの子どもたちは、みな胸を張って生きている。



HOMEアジア映画 キアロスタミ次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2019
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである