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ポン・ジュノ「殺人の追憶」:警察の無能を描く



ポン・ジュノの2003年の映画「殺人の追憶」は、猟奇殺人事件をめぐるサスペンス映画である。普通のサスペンス映画では、謎は最後には解消されるのだが、この映画では解消されないままに終わる。それは犯人の狡猾さよりも、警察の無能によるものだというメッセージが伝わって来るかぎりで、かなり反権力的な所を感じさせる。その警察は、自白を捏造する一方、今日では科学捜査のイロハであるDNA鑑定の能力もないということになっている。とにかく全くいいところがないのだ。

1880年代に実際に起きた殺人事件をもとにしているが、内容的にはフィクションだと断っている。その殺人事件とは、若い女性が強姦された上に後ろ手に縛られ、人目に立つところに放置されたというものである。それが連続して起こった。その事件を、一刑事(ソン・ガンホ)が担当する。かれは、知的障害のある若者クアンホに目をつけて、かれを取り調べる。殺人を自白させた上に、物証として、犯人が履いていた靴のあとを被害者の死んでいた現場から発見したという筋書きを書くが、それは全くのでっち上げだった。こういうでっち上げ捜査は、日本では、今井正が「真昼の暗黒」の中で描いたものだが、最近では少なくなったといわれる。ところが韓国では、それが捜査の主流だったわけだ。

捜査がうまく進まないうちに、ソウルから応援の刑事(キム・サンギョン)がやって来る。かれはソンらの捜査手法に懐疑的である。被害者の若い女性は後ろ手に縛られていたが、指がつぶれている容疑者クアンホにはそんなマネは出来ない。そこでクアンホを無罪放免する。それがソンには気に入らない。

とはいっても、ソンとキムは協力して捜査にあたる。その線上に一人の若い男が浮かび上がる。状況証拠やら男の異常な性格からして、二人の刑事はこの男が犯人に違いないと確信する。だが肝心な物証がない。犯人は被害者を、性倒錯を思わせるようなやり方で凌辱していたのだが、物証を残さなかったのだ。だが、女性の遺体から精液が発見される。これをDNA分析にかければ、有力な物証になる。ところが韓国の警察には、DNA鑑定の能力がない。そこでアメリカに検査依頼を出す。

その間にも、新しい被害者が出る。刑事らは気が気でない。そこへ鑑定結果が届き、有罪の決め手にはならないと言ってくる。逆上した刑事たちは、犯人の男に私的な制裁を加えようとする。そこまで追いつめられているのだ。だが、もう一歩のところで思いとどまる。

ソンは刑事をやめてサラリーマンになる。刑事としての生き方に強い疑問を感じたのだ。そんなソンが、事件から十数年後に、かつて自分が出動した事件現場に通りがかり、思い出に耽っていると、近所の少女が声をかけて来る。つい最近、同じようなことをしていた男がいたというのだ。その男こそは、もしかしたら真犯人で、いまでもこのあたりで生きているのではないか、そんなふうに思っている表情をソンが見せながら、映画は終るのである。

というわけで、観客としてはかなりなストレスが残る映画である。肝心なことはなにも解決されないし、無能な警察は、自分の無能を取り繕うために、自白の強要や証拠の捏造を平気でやる。もしこんな警察が存在するのだとしたら、それは市民を守るための警察ではなく、自分たちの面子だけにこだわる、とんでもない連中だということになる。




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