壺齋散人の 映画探検
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サマリア:キム・ギドク



キム・ギドクの2004年の映画「サマリア」は、現代韓国社会の乱れた一面を描いている。テーマは女子高校生の売春と、娘の性行為を知った父親の苦悩というものだ。女子高生の売春は、援助交際という名称で、日本でも話題になったところだが、韓国でもそれなりに憂慮すべき事柄として捉えられているようだ。日本では、どんな形であれ売春は違法なので、それ自体が犯罪として検挙されるが、韓国では売春はかならずしも違法ではないという。女性を使役して売春させるのは違法だが、女性が自らの意志で売春するのは違法ではないらしい。この映画は、そうした韓国社会のルールを前提にして見ないと、わかりづらいところがある。

二人の仲良しの女子高生がいる。そのうちの一人が売春をし、もう一人はその見張り役を務めている。売春の目的は、もうけた金で、二人そろって海外旅行することだ。金欲しさに売春というのは、日本でも珍しいことではないので、それ自体はそんなものかという感じだ。

問題は、売春現場を警官に抑えられた少女が、窓から飛び降りて大けがをするところから始まる。その少女は、手当も空しく死んでしまう。死ぬ前に売春相手だった一人の男に会いたいというので、もう一人の少女がその男を連れ出しに行く。なかなか腰を上げない男に対して、少女は自分の体を捧げて言うことを聞かせるのだが、結局その気持ちは無駄になる。

取り残された少女は、どういう気持ちからか、かつて相棒が売春した相手と一人一人会い、その連中に金を返してやろうと考える。どういうつもりかは、よくわからない。復讐かと言えば、そうではないらしい。第一、相棒の少女は強制されて売春したわけではなく、自発的にやったことだ。だから、その相手に復讐するというのは理窟が通らない。売春相手にとががあるとすれば、それは未成年を玩具にしたことだろう。いくら韓国でも、未成年を相手に買春を行なうことは違法に違いない。だからといって、違法を理由に復讐するというのは筋が通らない。

もっと筋が通らないのは、少女の父親だ。かれは仕事中たまたま自分の娘が大人の男とセックスしている現場を見てしまう。そのことでかれはさんざん悩むが、娘に向って事情を聞いたりはしない。そのかわり娘の売春現場を見張って、やって来る男たちを尋問したり、時にはひどい暴力を加えたりもする。彼は警察官という設定で、職業柄、自分の娘が売春に関わっていることを表沙汰にできないのだ。

それはともかく、父親の行為は次第にエスカレートしていき、男の家に押し入って暴力を振るい、家族の目の前で侮辱したり、そのことが原因で男が飛び降り自殺したりといった事態に発展するばかりか、ついには一人の男を殺してしまうのである。

こうした父親の行動は復讐としか言いようがないが、その復讐にきちんとした理由があるとは思えない。復習とは、いわれなき被害に対して行うものだが、娘は自分の意志で体を捧げているのである。それについて金を貰うわけではなく、かえってかつて貰った金額を返すわけであるから、全く自分の自由意思にもとづいた行為と言えるのである。そんな娘の行為が父親にはまったく理解できず、漠然とした怒りが内向していく。それがついには殺人にまで発展してしまうというわけである。

そういうわけで、かなりわかりづらい映画である。ラストに近いシーンで、少女が父親に絞め殺される場面が出て来るが、これは少女が転寝で見た夢だとわかる。少女のほうでは、自分の行為が父親を苦しめていることが分かっているのだ。しかしこの父娘は、現実を直視したくないようで、自分たちの置かれた状況について話し合おうとはしない。そのミスマッチが、悲劇につながったというふうに映画は作られているようである。




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