壺齋散人の 映画探検
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インド映画:作品の解説と批評


インド映画は、いまやハリウッド映画とならんで最も多くの作品を送り出している。制作本数でいえば、世界最多である。その理由についてはいくつか指摘されてる。インドではいまだに映画が娯楽の中心的な役割を果たしていること、また、インドは多言語国家なので、言語ごとに映画が作られ、その分総数も多くなるというわけである。

インド映画は、娯楽を旨としているので、人々が最大限楽しめるように作られている。三時間前後の長いものが多く、観客はピクニック気分で映画館におしかけ、映画を見るだけにとどまらず、自分たちも一緒になって歌ったり踊ったりする。つまり映画は、暗闇の中で銘々が孤独に見るものではなく、大勢一緒になって楽しみを共有する娯楽になっているのである。

そういうわけで、インド映画といえば、娯楽のイメージが強いのだが、なかにはシリアスなものもある。とりわけサタジット・レイは、現代インド社会で暮らしている人々の、考え方や行動に焦点を得て、きわめて社会性の強い作品を送り出してきた。サタジット・レイが映画作りを始めたのは1950年代半ばのことで、イギリスから独立して間もないころのことであったが、かれはインド独立にまつわる政治的なイシューを映画に盛り込むことには否定的だった。かれの映画のほとんどは、同時代のインドを舞台にしたものだが、カースト格差や若者の就職難といった身近な問題への視点はあっても、独立やその後の宗教対立のような極めて政治性の強い問題は意図的に避けているようにも見える。

サタジット・レイの作品はベンガル語によるものだが、インド映画でもっとも多く作られているのは、北部を舞台にしたヒンディー語作品である。ヒンディー語作品のほとんどはボンベイ(ムンバイ)で作られているので、それらをハリウッド映画にちなんでボリウッド映画と呼んだりする。

そのほか、日本では「踊るマハラジャ」で有名になったタミル語の映画も多く作られている。タミル語映画も、ボリウッド映画同様、歌と踊りを楽しむように作られている。「踊るマハラジャ」などを見ていると、南部から北部に移ると、言葉が全く通じない。それほどインドは、言葉によって分断されているという印象を受ける。

タミル語が主要な南部はとくにそうなのかもしれないが、相互に風貌の異なった人たちが大勢出てくる。白い肌で眼の大きな風貌、色黒で目が細く唇が太い風貌、我々日本人に似たアジア的な風貌といった具合だ。そうした様を見せられると、インド社会が多数の人種から構成される混合社会だということがわかる。カーストによる分断は、そうした事情を背景にしているのかもしれない。

なお、インドは一時期、日本人女性も巻き込んだ集団強姦事件が多発し、そのことで治安の悪さが目立ったのだったが、映画を見る限りでは、女性にもそれなりに暮らしやすいところのある社会だという印象が伝わってくる。

ここではそんなインド映画の代表的な作品を取り上げ、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


ムトゥ踊るマハラジャ:インド映画

ボンベイ:インド風ロメオとジュリエット

モンスーン・ウェディング:インド映画

ガンジスに還る:インド映画



サタジット・レイの映画:作品の鑑賞と解説

大地のうた:サタジット・レイの映画

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女神:サタジット・レイの映画

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