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インド映画「ガンジスに還る」:インド人の宗教意識と死生観



2016年のインド映画「ガンジスに還る」は、インド人の宗教意識と死生観を、家族関係に絡めながら描いた作品。ガンジス流域の宗教都市バラナシを舞台にして、情緒たっぷりの画面を通じて、インド人の生き方の特徴が伝わってくるように作られている。それが非常にユニークなので(特にヨーロッパ人の目には)、世界中の注目を浴びた次第だが、インド人の、とくにヒンドゥーの考え方は日本人の仏教的な考え方に通じるものがあるので、日本人にとっては親しみを感じやすい。

七十歳代後半になった老人が、自分の死期の近いことをさとり、ヒンドゥーの聖地バラナシで最後を迎える決意をする。それに息子が付き合わされる。インドでは、息子は父親に絶対服従を求められるようで、息子は仕事を放り出して、父親に従うのだ。

バラナシという都市は、インド中から死を覚悟した人々が集まってきて、そこでガンジスの聖水を飲みながら、死を待つのである。中には、到着後まもなくして死ぬ人もいれば、18年間も滞在している人もいる。かれらは、死ぬことを解脱することという。そこは仏教と同じ思想であり、また生きながら解脱するというのも、仏教の即身成仏を思わせる。やはりインドの土着の思想は、仏教のうちにも息づいているのだと感じさせる。特に大乗仏教の場合には、ヒンドゥー教の強い影響が指摘されているので、我々日本人は、そこに共通するものを感じることが出来るわけである。

父子は、ガンジスの流れのほとりに立つ一軒の収容施設に宿泊する。汚い部屋で、食事は自炊である。息子が作った料理を、父親はまずいと言いながら食う。死を覚悟しても、食事を抜くわけにはいかないのだ。そんなわけで父親は、なかなか死ぬ気配を見せない。息子はいつまでもあてもなくここに滞在するのが苦痛になり、父親を家に連れて帰りたいと思うのだが、父親は頑として受け付けない。そのうち、施設の隣人たちと仲良くなったり、河で行われる宗教行事(精霊流しのようなもの)を楽しんだりする。

父親は突然体調を崩し、ついにその時期が来たのかと覚悟する。息子にガンジスの聖水を汲んで来させ、それを飲む以外には、特に治療を受け入れない。すぐにも死にたいのだ。そのための準備は十分整えてある。ところが、一夜明けてみると、体調は回復していた。なかなか死ねないのだ。

そんな具合でだらだらと生きている間に、仲のよかった婦人が死んだり、新しい滞在者がやってきたりする。そういう日常にやっとなれたと思った矢先、父親は突然死ぬ、つまり解脱に成功するのである。仏教と同じく、死ぬことは輪廻からの離脱を意味する。輪廻にとらわれたままでは、また生き返らねばならない。もし生き返るとしたら、人間にはなりたくないと父親は言う。できるならライオンとかカンガルーになりたいと言う。カンガルーだったらオーストラリアに生まれるよと息子が言うと、カンガルーにはポケットがついているのでなにかと便利だなどと父親は言うのである。

その父親の遺体は、ガンジスの岸辺で火葬に付される。薪を積み上げて野焼きするのだ。煙には白檀の香りも含まれている。死者の魂は、煙と共に空へ上がっていくと思われているが、その魂のことをインド人はアートマンと言う。

父親が死ぬまでに滞在した期間は28日だった。割合早く解脱することができたわけである。なお、この映画は、インド映画には付き物の歌と踊りを省き、全編シリアスな作りになっている。



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