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レバノン映画「判決、ふたつの希望」:レバノンにおけるパレスチナ問題



2017年のレバノン映画「判決、ふたつの希望」は、レバノンにおけるパレスチナ問題をテーマにした作品。レバノンは、複雑な人口構成もあって国内政治が混乱しがちであったが、ヨルダン内戦でヨルダンを負われたPLOが活動拠点をレバノンに移したことで、政治状況は一層不安定化した。1970年代には、黒い九月事件にともなうイスラエルの攻撃があり、引き続き大規模な内戦も起きた。そうした歴史を踏まえて、レバノンは21世紀に入っても、さまざまな国内対立を抱えている。この映画は、そうしたレバノン国内の対立、とくにキリスト教徒とパレスチナ人との憎しみあいをテーマにした作品だ。

ベイルート市内で、あるキリスト教徒と一パレスチナ人との間でトラブルがおきる。原因自体は些細なことだが、その背景にはレバノン人特にキリスト教徒とパレスチナ人の間の長い対立関係があった。レバノンのキリスト教徒は、一貫してパレスチナ人排斥を叫んできており、そうした姿勢がちょっとしたきっかけで、暴力的な事態をもたらすのだ。

パレスチナ人のヤヘルは、仕事をしている最中に、キリスト教徒のトニとトラブルとなる。ヤヘルの雇い主は、トニに謝罪するように促し、ヤヘルもその気になるが、かえってトニからひどい侮辱を受けて、トニに大怪我をさせる。怒りが収まらないトニはヤヘルを傷害罪で訴える。

こうして裁判が始まる。この映画は、その裁判のやりとりを中心に展開していく。裁判の焦点は、ヤヘルが暴力をふるった原因だ。というのも、レバノンの刑法では、耐え難い侮辱を受けてなした暴力は無罪になるからだ。そこで、ヤヘルの弁護士は、トニがヘイトクライム的な侮辱をヤヘルに加えたと主張する。それをめぐって原告と被告の間、及びその背後にいる人々、とりわけキリスト教徒とパレスチナ人に同情的なイスラム教徒との間の対立がエスカレートしていく。

そうした事態を背景に、裁判所は両者の和解をめざすような動きを見せる。政治的にも、大統領が介入してきて、両者の和解を忠告する。トニはヤヘルに対して強いいきどおりを覚えていたが、ヤヘルの立場を理解するにつれて、心が次第に溶けていく。決定的だったのは、ヤヘルの謝罪だ。それまでヤヘルは、自分から謝罪の言葉を言うことはなかった。きっかけがなかったのだ。そこでヤヘルは、わざわざトニを訪ねていって、ひどい言葉で侮辱する。トニは逆上してヤヘルに怪我をおわす。怪我を負わされたヤヘルは、トニに向って謝罪の言葉を述べる。それが決定的なきっかけとなって、二人は和解するのだ。

というわけで、レバノンにおけるパレスチナ問題をとりあげた映画である。テーマは、レバノン人とパレスチナ人の和解ということだが、その和解の仕方がいかにもアラブ的なのがミソだ。和解は両当事者が完全に平等な立場になることで成立する。一方が非対称的な損害を蒙ったままでは和解は成り立たないのだ。この映画の場合で言うと、トニが蒙った苦痛と同じ苦痛をヤヘルも蒙らなければならない。そこでヤヘルは自分からトニに殴られることで、バランスを回復し、和解できる条件を作ったというわけである。そんなわけだから、この映画は又、アラブ人の伝統的な考え方に焦点を当てたものだともいえる。

レバノンに限らず、中東諸国の映画は国際的にあまり注目されることがなかった。そんななかでこの映画は、中東における政治的・社会的対立と、その歴史的な背景に、ヨーロッパ諸国の人々が目を向けるきっかけを作ったようだ。




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