壺齋散人の 映画探検
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陳凱歌「花の生涯 梅蘭芳」:伝説の京劇俳優を描く



陳凱歌の2008年の映画「花の生涯 梅蘭芳」は、伝説の京劇俳優と言われる梅蘭芳の生涯を描いたものである。梅蘭芳は大戦中に一貫して抗日の姿勢を貫いたことで、中国人には節制のある人物として人気があるが、その生涯を描いたこの映画は、日本人にとっては面白くない作品だと言えよう。日本人をあまりにも非人間的に描いているからである。

映画のポイントはいくつかある。まず京劇界の因習性を描いたところ。京劇も日本の伝統芸能同様師弟間に封建制を思わせるような支配・従属関係があるようだが、日本に比べ陰湿に流れやすいらしく見える。それは日本の場合には実の親子関係が一般的なのに比べて、京劇の場合には、他人の子を養うことが一般的らしいことから来るようだ。だから、師匠と弟子とが互いに対立することもある。その結果師匠が弟子に敗れて没落したりもする。こういうことは、日本の場合には殆ど起こらない。師匠の後継者は実の子であることがほとんどであるし、そうでない場合には養子縁組をして、実の親子同様に接するからだ。

二つ目は、日本の能や歌舞伎同様、京劇も男が女役をやることだ。主人公の俳優梅蘭芳は女形の名手ということになっている。面白いことには、日本の場合女性が舞台に上ることはないが、京劇の場合には女性も舞台に上る、しかもその女性が男を演じることもある。これは日本の場合には考えられないことだ。実際この映画の中でも、男の梅蘭芳が女役をしなやかに演じ、女の孟小冬が髭を生やした男を演じている。

かつて三田村鳶魚翁は能を評して変態芸術と言ったことがあるが、それは男が女を演じていることがあたかも男色を思わせることを根拠にしていた。ところが京劇は男と女がそれぞれ倒錯した役を演じあうわけであるから、鳶魚翁の目には変態ここに窮まれりと映ったに違いない。これは余談だが、鳶魚翁が能楽ばかりを責めて歌舞伎に言及しないのは、歌舞伎を一段低い芸能と見ていたからであるらしい。

三つ目は日本人の描き方が極端に否定的なことである。この映画の中の日本人は、ほとんど軍人で占められるのだが、その日本人の軍人が良心を持たない人非人のように描かれている。梅蘭芳はその日本軍人から、南京陥落記念の京劇をするように求められるのだが、梅蘭芳は断固として拒絶する。力づくで舞台に上げられそうになると、自らの意志でチフスにかかり、物理的に動けないことで、その命令に抵抗しようとする。そこが抗日の英雄として中国人の敬愛を集めるに至った理由なのだとこの映画は強調するわけなのだが、その一方で日本人の描き方があまりにも非人間的になっている。

こういう映画を見せられると、日本と中国との間でいまだに先の戦争に関する本当の和解ができていないということを感じさせられる。

梅蘭芳が大恐慌のさなかにアメリカ公演を成功させ、京劇を世界的に注目させることに寄与したように描かれているが、史実としては、梅蘭芳は日本にも立ち寄って京劇公演を行っている。映画はそのことに全く触れていない。日本と中国との間には何らの友好も認められないと言いたいからだろうか。ここにも監督陳凱歌の作為を感じる。

もっともその作為は陳凱歌に限らず、現代中国映画に共通したもののようだ。陳凱歌と並び称される巨匠張芸謀も「紅いコーリャン」や「金陵十三釵」で、日本軍人をかなり否定的に描いている。

なおこの映画は京劇をテーマにしている点、しかも女形の役者を主人公にしている点で「さらば、わが愛/覇王別姫」と似ているが、後者は梅蘭芳とはかかわりがないということだ。



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