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孔雀 我が家の風景:中国人の家族関係を描く



2005年の中国映画「孔雀 我が家の風景」は、副題にあるとおり、中国人の家族関係を描いたものだ。中国人の家族関係のパターンは、小生はよく知らないのだが、エマニュエル・トッドの家族関係論が一つの参考になるので、それを紹介したい。トッドによれば、日本の家族関係は父親を頂点にした垂直的な関係で、兄弟のなかでも明確な序列があり、長男が家の財産を相続する。こういう家族類型をトッドは権威主義的家族と言っている。それに対して中国人の家族は、父親が権威をもつことは日本と同じだが、兄弟は平等で、横の連携は弱い。一人ひとりが父親と直接つながっている。したがって父親が死ぬと、家族はバラバラに解体する確率が高い。これをトッドは共同体家族と言っている。

トッドの類型論がどれほど実態を反映しているか、とくに中国の場合には、明らかではないが、それを頭に置きながらこの映画を見ると、腑に落ちるところもある。

この映画に出て来る家族は、父親を中心して、両親と子供三人の核家族である。子どもは、肥満した知恵遅れの長男、尻軽で刹那的な生き方をしている長女、まだ学校に通っている次男の三人である。映画はこの三人の生き方を順次描き出していくという形で進んでいく。彼らの住んでいるところは地方都市ということになっており、画面には鶴陽市への言及があるのだが、その鶴陽市がどこにあるのか、調べてもわからなかった。もっともそれを知らなくてもたいした障りにはならない。

最初は長女の生き方が紹介される。彼女はある時、落下傘部隊の練習風景を見て、自分も落下傘にあこがれて部隊への入隊を志願する。だが激しい競争に敗れて望みはかなわない。瓶洗いの単純な仕事をしているが、できたらもっと楽しい仕事がしたいと考えている。そこで知り合いに斡旋を頼んだりする。中国人は、ただでは頼みを引き受けないらしく、金のない彼女は、体で支払いをすませようとする。彼女は人に頼みごとをするときは、簡単に尻を差し出すのだ。そういう光景を見せられると、中国人の女は極めて尻軽だとの印象を持たされるが、実際そういう傾向は強いらしい。すくなくとも日本の女よりは、貞操に淡白ということは指摘できるようだ。

次は肥満している知恵遅れの長男。その肥満ぶりがすさまじい。子どもの頃に脳の病気を患って以来肥満したということになっている。肥満しているうえに智慧が足りないとあって、仲間からいじめられる。そのいじめに怒った長女が、腕っぷしの強い男に復讐を依頼する。無論報酬の支払いは尻ですますのだ。長男は、色気は失っていないらしく、嫁が欲しいと母親にねだる。母親は必死になって嫁探しをする。その努力が実って、嫁の来手がみつかる。彼女が長男との結婚を承諾したのは、惨めな田舎暮らしから抜け出せると思ったからだ。中国人の女は計算高く、金勘定があえば誰とでも結婚するというようなメッセージが伝わって来る。

続いて次男の生き方が描かれる。次男は学校に通っている。しかし勉強より女のほうが気になる。そこで学習ノートに女の裸体画を描いたりしていたところ、それを見た父親が、お前のような不良は勘当だといって追い出してしまう。追い出された次男はその後、やくざのような生き方をする。それは指を詰められたということから伝わって来る。

やがて父親が死ぬ。しかし家族が解体するわけではない。兄弟は母親と依然結びついているし、また、決して親密ではないが、相互につきあったりもする。映画のラストシーンは、子供たちの三組の家族が、動物園に出かけて行って、孔雀を見る場面で終わっているのである。タイトルの孔雀は、それをイメージしているようだが、また、長女があこがれた落下傘の象徴なのかもしれぬ。落下傘を広げると、開いた孔雀の羽のように見えるのである。




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