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中国映画「芙蓉鎮」:動乱に翻弄される中国の庶民を描く




1987年の中国映画「芙蓉鎮」(謝晋監督)は、毛沢東一派のいわゆる階級闘争路線に翻弄される庶民を描いたものだ。毛沢東が生きていた頃は、戦後の一連の動乱や共産党の統治を批判的に描くことは許されなかったが、1978年に毛沢東が死に、鄧小平のもとで改革開放路線が進むと、中国にもやや自由の風が吹くようになり、毛沢東時代を批判する映画も作られるようになった。それを称して「傷跡ドラマ」というそうだが、「芙蓉鎮」はそれを代表する作品との評価が高い。

毛沢東が権力を握った当初は、階級の間の調和が重視されたが、1950年代に入ると急速に左傾化し、階級闘争と称して地主や資本家たちへの攻撃が強まった。それには朝鮮戦争の影響なども指摘される。毛沢東は、中国の国力を一気に高めるために社会主義の建設を急ぎ、それが苛酷な階級闘争路線をもたらしたというのが歴史家の定説のようである。

階級闘争路線は、毛沢東の共産党組織が音頭をとったものだが、実際にそれを担ったのは、地域の住民たちである。地域の住民たちに分断が生まれ、その一方が他方を攻撃する。それは一応、公の大義を実現するという名目をかざしているが、実際には、大義の名に隠れ、私的な怨念を晴らす輩も多かったことは、近年のフィリピンにおける麻薬マフィア撲滅と同じような面もあったようだ。

この映画に出てくる女性は、地主でもなく、資本家でもない。路上の屋台で豆腐を売っている小商人にすぎない。それがブルジョワとして階級の敵に仕立て上げられたのは、彼女を個人的に憎む共産党地方女性党員の怨念のためだった、というのが基本的なストーリーだ。この女性党員による迫害は、1863年ごろのいわゆる四清運動にはじまり、文革革命で悲惨の頂点に達する。彼女は愛する夫を殺されたあげく、あらたに好きになった男も強制労働に駆り立てられる。彼女がやっと人間らしい気持ちをもてるようになるのは、毛沢東が死んだあとだ。しかし毛沢東が死んでも共産党の支配はかわらない。彼女を迫害した地方党員は、引き続き彼女の住む村に大きな顔を向けているのである。

その村は、川沿いにあることになっている。原作の設定では湖南省の南部にある小村だというから、洞庭湖に流れ込む川の一つかもしれない。そこの小さな村を舞台に、人間同士が分断されて互いに憎みあう。同じ村内部で、住民同士かくも憎みあうというのは、日本人の感覚ではなかなかわからない。しかも文革では、紅衛兵と称する子供たちが大人社会をひっくりかえすのである。かの女性地方党員も、淫乱を理由に紅衛兵たちにつるしあげられたくらいだ。とにかくめちゃくちゃである。



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