壺齋散人の 映画探検 |
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侯孝賢の親日家ぶりは日本映画界でも評価されて、松竹は会社設立百周年記念映画の製作を、かれにまかせたほどだ。かれはそれに応えて、日本にわたり、日本の金で、日本人の俳優をつかい、日本語の映画を作った。2004年の作品「珈琲時光」がそれである。このタイトルは、コーヒータイムとかコーヒーブレークを意味する台湾言葉で、これだけからは、台湾映画を連想させるが、中身は純粋な日本映画に仕上がっている。 主演は一青窈。その相手役を浅野政信がつとめている。東京の片隅に暮らす、若い独身女性の生き方を淡々と描いたもので、筋らしいものはほとんどない。この女性は、ある男の子どもを妊娠したのだが、その男とは結婚するつもりはない。そんな彼女の両親は、娘がテテナシ子を産むことに不安を覚えている。一方、彼女が日頃親しくしている中年男は、彼女の妊娠を知っても、たいして動揺しない。どうも彼女を恋愛の対象とは見ていないようなのだ。 こんな設定で、映画は淡々と進行する。物語の展開よりも、東京の街の佇まいの独特の美が紹介される。主人公の女性が住んでいるのは東京の荒川線の沿線、鬼子母神あたりだとアナウンスされる。中年男は、神保町で古本屋をやっており、頻繁に訪ねて来る女性を相手に、いろいろ貴重なアドバイスを与えたりする。そのかたわら、収音機を担いで、東京の街が発する生活音のようなものを集めている。その様子を見ると、ヴィム・ヴェンダースの映画「リスボン物語」を想起させられる。ヴェンダースの映画でも、収音機を担ぎながら、リスボンの町の生活音を収集するシーンが出て来る。 そんなわけで、この映画が、ヴェンダースを意識しているのは確かなようだ。もっとも表向きには、小津安二郎へのオマージュだといっている。とくに「東京物語」を強く意識しているんだそうだ。ヴェンダースも小津に大きな影響を受けた一人だから、小津を通して侯孝賢とヴェンダースがつながるのは不思議ではない。 小津の影響という点では、撮影のスタイルに見て取れる。比較的低いカメラアングルで、ロングショットの長回しを多用し、時間はゆったりと流れている。ゆったりとした時間の流れは、映し出される東京の街の表情からも伝わって来る。荒川線の沿線、神田神保町、有楽町から銀座二丁目界隈、そういった東京の町々が表情豊かに写し出される。この映画を見ると、東京は緑に包まれ、時間がゆったりと流れる美しい街だという印象を植え付けられそうである。その意味では、台湾人の侯孝賢が、日本のよさを世界に向けて発信しているわけだ。 ゆったりとして見えるのは、人間の振舞いもそうだ。主人公の女性は、あまりものごとにこだわらない性格らしく、自分の生き方に満足している。その満足が彼女の態度に余裕を与えている。彼女は実母に捨てられた過去を持つことになっているが、そうしたことを全く感じさせないほど、自分自身の境遇に溶け込んでいる。浅野政信演じる中年の古本屋店主も、寡黙で、自分を押し出さず、まわりの雰囲気に流されるような消極性を感じさせる。浅野はもともとそういうイメージが強い俳優なので、これははまり役といってよい。 |
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