壺齋散人の 映画探検
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HERO:張芸謀



張芸謀の2002年の映画「HERO」は、中国版ちゃんばら時代劇といった作品である。日本のちゃんばら時代劇は、正義の味方が悪人どもを成敗する勧善懲悪の仕立てになっているが、中国のちゃんばら時代劇であるこの作品は、必ずしも勧善懲悪とは言えない。この映画のテーマは、秦の始皇帝を付け狙う刺客たちの物語なのだが、ほかならぬその刺客たちが、いわば内輪もめのような形で、互いに戦うのだ。しかもその戦いには隠された意図がある、というようなちょっとひねった筋書きになっている。日本のチャンバラ映画の無邪気さに比べれば、かなりひねくれた作り方といえる。

映画は、始皇帝の命を付け狙っていた三人の刺客を殺した剣士が、始皇帝の前に召し出されるところから始まる。始皇帝はかねて命を狙われていることから、普段は拝謁する人間を百メートル以内には近づけない。ところがこの剣士は、その功績を評価されて、十メートルの近さまで近づくことができた。その近さなら、始皇帝に襲い掛かって殺すことができる。

実はこの剣士が三人の刺客と戦い、彼らを殺したのは、その功績を始皇帝に認めさせて、身近に近づくことができるようにとの意図に出たことだったのだ。三人の刺客たちは、始皇帝の命を奪えれば、自分たちの命が犠牲になってもよいと考えている。そこでこの剣士にわざわざ討たれることで、彼に手柄をあげさせ、始皇帝に評価され、その身近に拝謁することで、始皇帝を倒す可能性にかけたというわけなのである。その可能性は現実となって、剣士は始皇帝に至近距離から襲い掛かることができた。しかし始皇帝もさるもの、むざむざ討たれることはない。逆に返り討ちの形にもちこんで、剣士は殺されてしまうのだ。

こんなわけで、いまひとつすっきりしない筋書きだが、それはわきへおいて、この映画の魅力は、四人の剣士が繰り広げる戦いの場面だ。日本映画なら、主として日本刀でエイエイヤアと戦うところだが、中国映画だから中国風の剣で戦う。中国風の剣は、日本刀とは違って、切るのではなく刺すように出来ていて、幅は広いのだが、ペラペラとして、振り回すと布のようにしなる。その剣を振り回しながら戦う姿は、なにしろ相手を刺そうというのであるから、我々日本人が見ていると、かなり滑稽に見える。しかも、単ににらみ合うばかりでなく、身体を回転させたり、空中を飛び跳ねたり、まるでアクロバットを見ているようである。

こんなわけで、この映画は、中国人にとっては面白いのだろうが、我々日本人にとっては、かなり空々しい印象を与える。決闘をするのに空中を飛んだり、身体を回転させたりは、日本の忍者もしないわけではないが、この映画の中の剣士たちの戦いぶりは、人間というよりは、猿を思わせるようなところがある。

それはともかくとして、剣士が折角始皇帝に近づけたのに、殺すことができなかったのは、やはり歴史に制約されたのであろう。ここで始皇帝を殺してしまっては、中国史の常識が覆されてしまう。そこで、剣士は始皇帝によって殺されてしまうのだが、それは結果として中国史にとってよかったのだ、というようなメッセージが伝わるようになっている。始皇帝は残虐な人間ではあったが、中国を統一して世界帝国の基礎を築いたのだし、その後の中国の文明の発展に大いに貢献した。だから剣士が始皇帝によって殺されたのは、中国史にとっては貴重な犠牲と考えるべきなのだ。そんなふうに観客に思わせて、意外な結末を受け入れてくれるよう、呼びかけているようなところがこの映画にはある。




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