壺齋散人の 映画探検
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張芸謀「金陵十三釵」:南京大虐殺を描く



「金陵十三釵」は、日本では最悪の反日映画と受け取られたので、上映されることはなかったし、日本人向けのDVDが販売されることもなかった。そんなわけで小生は、英語圏向けのDVDを取り寄せて見た次第だ。たしかにこの映画の中の日本人はグロテスクなほどに、非人間的に描かれている。この映画は中国では空前のヒットを記録し、日本を除いた外国にも相当多数輸出されたようだから、中国はもとより世界じゅうに日本についてのマイナスイメージをばらまいたことになる。

映画が描いているのはいわゆる南京大虐殺である。これは日本では南京事件といわれ、それなりの歴史的認識もされているが、中国での受け取り方と日本での受け取り方に大きなギャップがあり、この映画で描かれたような残虐な行為を日本兵がしたとは、ほとんどの日本人は信じていないのではないか。日本での受け止め方は、中国兵自体と、中国兵が民間人になりすました便衣兵を相手に戦ったのであって、民間人を無差別に殺したわけだはないというものだ。ところがこの映画が描いているは、日本兵による中国民間人の無差別な虐殺だ。その虐殺のおぞましさがリアルに観客に伝わるように、監督の張芸謀は最大限の工夫をしている。それを見ると、日本人の小生でも眉をひそめてしまうのであるから、中国人がみたら、日本への憎しみを掻き立てられると思う。実際この映画は、上映された当時の両国の対立を反映するかのように、中国人社会の反日感情に火をつけるような役割を果たした。

張芸謀は、デビュー作の「紅いコーリャン」においても、日本兵の残虐非道ぶりを描いていたから、よほど日本が嫌いかと思うと、かならずしもそうではなく、高倉健を主演に起用した「単騎、千里を走る」のような映画も作っている。その映画の中では、高倉健演じる一日本人を通して、日本人の人間としてのすばらしさにも言及していたものだ。

映画は、日本軍による占領当初の南京市街の様子を映し出すことから始まる。破竹の勢いで進軍する日本兵によって、南京市民が無差別に殺され、それらの夥しい死体が路上を覆う。もっとも中国軍もやられっぱなしではなく、ところどころで日本軍への反撃をする。なかには勇敢な部隊もあって、日本軍を苦しめたりするが、そこは兵力の違いに圧倒され、制圧されるのである。こういう戦闘が南京市内でどれくらいの規模で行われたのか、詳しくは明らかになっていないようだが、それだからこそ中国人の張芸謀としては、中国兵にもいいところはあったのだと主張したいのだろう。要するに中国側は、日本軍の前で無抵抗のまま屈服したのではないと、この映画を通じて主張しているように見える。

映画は、一教会を主な舞台にして進む。その教会に下働きの少年と、教会に属する少女たち十数人がたてこもる。そこへ、ひとりのアメリカ人が避難してくる。これに加えて十数人の遊女たちも非難してくる。遊女たちは、アメリカ人に南京市街への脱出を要求するが、アメリカ人は、それよりこの教会の中で遊女と寝ることを望む。そんな彼らの前に負傷した中国兵が避難してきたり、その負傷兵のために琴の弦をとりにいった二人の遊女が、日本兵に見つかって嬲り殺されたりということがあって、ついに教会に日本兵がやってくる。日本兵たちは、教会にいる少女たちを見つけると、喜び勇んで強姦しようとする。抵抗した少女は容赦なく殺される。ところがあたりに潜んでいた一中国兵がそんな日本兵を狙撃するに及び、日本兵とその中国兵との間で俄かに戦いが始まる。この戦いを中国兵は勇敢に戦い、日本兵に多大な損害を与えるのだが、なにしろ一人で大勢を相手にしているので、最後には叩きつぶされてしまう。

このやりとりを通じて、アメリカ人は牧師になりすまし、少女たちを守ろうとするばかりか、遊女たちにも同情して、どうにかして彼女らを苦境から逃れさせてやりたいと思うようになる。しかし、日本側は、少女たちを性の生贄として差しだすように求めて来る。おののく少女たち。それをみた遊女たちは、自分らが少女たちの身代わりになって日本軍に赴こうと言い出す。彼女たちは遊女ながら、人間としての感情を忘れていないのだ。それに比べると日本兵は、どれもこれも人間とはとてもいえぬような卑劣な生き物として描かれている。

遊女たちは十二人いたのだが、日本軍が求めているのは十三人の少女たちだ。そこで足りない一人の役柄を、下働きの少年がつとめようと言い出す。いずれはばれてしまうだろうが、それまで時間稼ぎをするから、その間に少女たちをトラックに乗せて、南京市街に脱出させてほしいというのだ。そのトラックは、周到な準備のうえ、修理が終わって走ることができる状態になっていたのだ。

かくして十二人の遊女たちと一人の少年とが、少女に変身して日本軍に赴く。それと並行する形で、アメリカ人は少女をトラックに隠し乗せて、南京城の西側の門をめざすのだ。そこまで行けば何とか城外に逃れられると言われていた。しかし実際に逃れることができたか、映画は語らない。

この映画のなかに出て来るアメリカ人は、実在した人物なのか、それとも全くの創作なのか、不勉強な小生にはわからない。南京占領時、城内には多数の外国人がいて、そのなかには当時の様子を証言するものもいたというから、あるいはそうした証言をもとにこの映画を作ったのかもしれない。いずれにしても、日本兵の残虐さについては、ゆるがぬ史実として取り扱っている。

題名にある「金陵十三釵」とは、小説「紅楼夢」に出て来る「金陵十二釵」を踏まえている。金陵十二釵は小説をいろどる魅力的な女性たちだが、映画では彼女らを思わせるような魅力的な十二人の遊女たちに加え、勇敢な一人の少年の、人間らしい振舞いを描いているわけだ。



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