壺齋散人の 映画探検 |
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ホウ・シャオシェン(侯孝賢)は、台湾映画を国際的に認知させた監督である。1980年台以降の台湾映画を、エドワード・ヤンらとともに牽引した。かれらを称してタイワン・ニューシネマという。台湾は日本統治を脱した後、国民党の権威主義的な体制に組み込まれ、文化は振るわなかった。映画も例外ではなく、沈滞が続いていたが、80年頃から自由化が浸透するようになり、それが映画界に刺激を与えて、優れた映画が作られるようになった。そんな台湾映画を世界に認識させることとなったのが、ホウ・シャオシェンが代表するタイワン・ニューシネマだったのである。 |
ホウ・シャオシェンの初期の作品は、自身の少年時代に題材をとった自伝的なものが多かった。「風櫃(フンクイ)の少年」(1983年)、「冬冬(トントン)の夏休み」1984)、「童年往事 時の流れ」(1985)、「恋恋風塵 」(1987)といった作品群で、これらを「自伝的四部作」と称する。「冬冬の夏休み」はその代表作といってよいが、これは台湾人の日本への憧れを強く感じさせる。 1989年の作品「非情城市」がヴェネツィアでグランプリをとり、一躍世界的な名声を得た。この映画は、国民党による台湾内省人への大規模弾圧である「2・28事件」をテーマにした作品である。台湾は1987年に戒厳令が解除されたばかりであり、国民党を強く批判するこの映画は上映できない可能性も指摘された。だが大した混乱もなく上映された。 「非情城市」には、国民党の弾圧を嫌悪するあまり、蒋介石より日本のほうがましだったといったメッセージを感じることができる。じっさい、この映画の中の日本人は、台湾人のよき隣人として描かれている。ホウ・シャオシン自身は内陸の客家の出身であり、台湾の内省人ではないが、心情的には内省人と同じものをもっているというふうに感じさせる。 「非情城市」に続いて「戯夢人生」(1993)、「好男好女」(1995)といった台湾現代史に取材した作品を作った。それらは、「台湾現代史三部作」と称される。 1996年の映画「憂鬱な楽園」は、台湾の若者たちの無気力な生き方を描いた作品。これ以後ホウは、台湾の現代の若者たちを好んで描くようになる。「ミレニアム・マンボ」(2001)は、不良少女上がりの台湾娘の青春を描いたものだ。その一方で、時代劇的な雰囲気の作品も作っている。「フラワーズ・オブ・シャンハイ」(1998)は、19世紀末の上海を生きる人々を描き、またオムニバス映画「百年恋歌」(2005)には、辛亥革命前夜の台北の人々が描かれている。 ホウ・シャオシェンには日本贔屓なところがあるが、それが高じて日本映画そのものというべき作品「珈琲時光」(2004)を作った。これは日本を舞台にして、日本人俳優が日本語で演じる映画である。これをホウは、小津安二郎の生誕百年を記念し、小津へのオマージュとして作ったそうである。 ここではそんなホウ・シャオシェンの代表作を取り上げ、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。 冬冬の夏休み:侯孝賢 悲情城市:侯孝賢 好男好女:侯孝賢の台湾近現代史シリーズ ホウ・シャオシェン「憂鬱な楽園」 台湾の若者 ホウ・シャオシェン「フラワーズ・オブ・シャンハイ」 19世紀末の上海 ホウ・シャオシェン「ミレニアム・マンボ」 台湾娘日本に遊ぶ 珈琲時光:侯孝賢による日本映画 ホウ・シャオシェン「百年恋歌」 三組の男女の恋をオムニバス風に描く 黒衣の刺客:侯孝賢 |
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