壺齋散人の 映画探検
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ファティ・アキン「愛より強く」:トルコ系ドイツ人たちを描く



ファティ・アキンはトルコ系のドイツ人として、ドイツのトルコ人社会をテーマにした映画を作り続けた。2004年の作品「愛より強く」は、そんな彼の出世作となったものだ。ドイツに生まれたにかかわらず、ドイツ社会に疎外感を感じ、だからといってトルコにも一体感を感じることができない不幸なトルコ系ドイツ人たちを描いている。

この映画に出て来る男女は、常になにかに対して憤りの感情を抱いている。それはおそらく自分に疎外感を感じさせるドイツ社会に向けられたものだと思われるのだが、映画からはストレートには伝わってこない。ただ漠然とした疎外感が彼らを怒らせているということが伝わって来るだけである。これはトルコ系とはいえ、ドイツ人としてのアキンの抑制の現れなのだろう。表面からドイツ社会を批判することは、ドイツ人を敵に回すことにつながりかねず、したがってドイツ国内のトルコ人コミュニティにとっていいことではない。そんな考慮が働いたのかもしれない。

映画の主人公の男女は、どちらも自殺未遂者である。自殺の原因は外的な事情よりも精神的なものだということになっており、彼らは精神病院で治療を受けるのだ。そのうち女の方から男へ向けて、結婚して欲しいというメッセージが発せられる。男は女より23歳も年上で、ただでさえ釣り合いが取れないのに、心を病んでいる。そんな自分になぜ若い女が結婚を申し込むのか。男は当初面食らうが、女は封建的で抑圧的な家族から解放されたいがために、名目上の結婚をしたいのだと言う。男はそんな女の気持を受け入れて、形上の結婚に応じる。

しかしもともと愛し合っていたわけではないし、二人にはそれぞれ独自の考え方がある。結婚したとはいえ、ベッドを共にすることはなく、それぞれ勝手な生き方をする。男は昔の女に心の慰安を求め、女は見ず知らずの男たちを誘惑して快楽を追求するといった具合だ。

興味深いのは、彼らの交際範囲がトルコ人社会に限られていることだ。彼らとかかわりのあるドイツ人は出てこない。ドイツ人が出て来るケースといえば、乗り合わせたバスのなかで、お前たちとは一緒に乗りたくないから出て行けとどなるドイツ人だ。そんなドイツ人へ彼らの怒りがストレートに向けられることはない。彼らの怒りは同じトルコ人に対して向けられるのだ。そういうシーンを見せられると、このトルコ人たちは、ドイツ人から向けられた自分たちへの侮辱とか軽蔑の感情のつぐないを、当のドイツ人ではなく同輩のトルコ人相手に発散させているように見える。なんとも異様な眺めなのである。

男は自分を侮辱したトルコ人を殺して監獄に入れられる。男を愛しはじめたらしい女はそんな男をずっと待っていると誓うのだが、孤独に耐えられずにイスタンブールに迷い込み、そこですさんだ生活をしたあげくに、やはりトルコ人のならずものたちによって半殺しの目にあわされる。

こうして何年かが過ぎて男が監獄から出されると、彼は女を求めてイスタンブールにやってくる。そこで二人は遭い、ホテルの一室で初めてセックスをする。男は女とやり直したいという。しかし女には新しい男とその間に生まれた娘がいる。男は娘を含めた三人で、男の家族の出身地へ行き、そこで静かに暮らそうと持ち掛ける。しかし女は男の誘いには乗らず、今までの生活を続けることを選ぶのである。

こんなわけで、男の目線に立ってみれば、この映画には救いがない。女には救いがあるかといえば、それもあるようには見えない。その救いのなさは一体どこからくるのか。先ほど述べたような事情から、この映画はドイツ社会を正面から取り上げているわけではないので、救いのなさの本当の原因が見えにくくなっている。



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