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ファティム・アキン「消えた声が、その名を呼ぶ」:
トルコによるアルメニア人虐殺



ファティム・アキンの2014年の映画「消えた声が、その名を呼ぶ」は、第一次世界大戦中のトルコによるアルメニア人虐殺をテーマにした作品である。トルコ人とアルメニア人は19世紀から対立し、たびたび虐殺事件も起きていたが、第一次大戦においてトルコがドイツ側につき、アルメニア人が連合国側についたこともあって、トルコによるアルメニア人の迫害が強まり、組織的な虐殺や集団移住の強制などが起った。これについては、いまだにトルコ・アルメニア両国間で深い感情的な対立があるようだが、トルコ側は計画的な虐殺はなかったと否定している。国家による戦争犯罪は、日本の場合には南京虐殺があり、やはり日本政府はそのことに触れたがらない傾向があるわけだが、トルコは触れたがらないばかりか、その存在さえ認めたがらない。そういう状況にあって、トルコ系のドイツ人であるファティム・アキンが、この問題を正面から取り上げたわけである。その反響は結構大きかった。

映画は、前半でトルコによるアルメニア人虐殺を、後半で虐殺を奇跡的に生き延びたアルメニア人が、失った家族を取り戻すべく、地球の反対側まで探し歩くさまを描く。トルコ人によるアルメニア人虐殺は極めて淫靡なもので、トルコ人は一部のアルメニア人にキリスト教からイスラム教への改心をせまり、改心したアルメニア人に同胞を殺させるというやり方をとる。映画の主人公ナザレットはその際に、喉首をナイフで切り裂かれ、声を失ってしまうのだ。

声を失ったナザレットは、妻子を求めて放浪する。妻子は、トルコによって強制された移住の際に、死んだり行方不明になっていたのだった。手がかりをもとめてやって来たシリアのアレッポの難民キャンプで義姉にあうが、衰弱した義姉はいっそのこと楽にしてほしいとナザレットに訴える。ナザレットは泣く泣く義姉の首を絞めて楽にしてやるのだ。

その後、シリアのアラブ人に拾われたナザレットは、双子の娘の行方を求めて探し回る。まず、トルコ国内に百あるという孤児院を探し回るが、そこで娘たちがキューバに向かったという情報を得る。喜んだナザレットは、苦労してキューバに渡るが、そこで娘たちがアメリカのミネアポリスに移住したと聞かされる。ナザレットはそれでも意気阻喪せず、密輸船に乗ってフロリダに上陸し、ミネアポリスをめざす。その途中フロリダではドナルド・トランプのような排外主義者に命を狙われたり、建設現場の荒くれどもに叩きのめされたりする。そんな彼を唯一暖かく迎えてくれたのは、同じアルメニア人のコミュニティだった。当時のアメリカには、トルコの迫害を逃れて移住してきたアルメニア人が多かったようだ。

ミネアポリスでも娘に会えなかったナザレットは、ノース・ダコタまで流れてきて、そこでやっと双子の一人と劇的な再会を果たす。その娘は強制移住の際に足を怪我し、片足が不自由な状態だった。また、もう一人の娘は、強制移住の際に見舞われた寄生虫の害によってすでに死んだと聞かされる。悲しみは絶えないナザレットだが、たった一人の娘と再会できたことで、生きる望みを取り戻す、というのが映画の基本プロットだ。

こんな具合にこの映画は、主にアルメニア人の家族愛を中心に描いている。それに対してトルコ人によるアルメニア人虐殺は、付随的な出来事といった位置づけであり、映画にはそれを糾弾するような姿勢はあまり見られない。やはりそこはトルコ出自のファティ・アキンの心の祖国への礼儀ということか。

この映画の中で恐ろしいと思ったのは、トルコが敗戦国となって、それまでアラブ人やアルメニア人などに対して迫害者の立場にあったものが、一夜にして被迫害者の立場に落ち、迫害者から石を投げられるシーンだ。そこには主人公のナザレもいる。彼は子供に石を投げようとして、その子供が他人の投げた石のために目をつぶされる光景をみて、ふと良心に目覚める。しかしそうした良心は、これまで迫害されてきた者にとっては、呵責のたねにはならない。彼らの大部分は、これまでに蒙って来た痛みの幾分かでも、相手に返さずにはいられないのだ。

こういうシーンを見せられると、多民族がひしめきあって暮らしているところでは、民族の力が弱い者は迫害され、迫害を免れるためには民族が強くならねばならないという、脅迫観念のようなものに、明確な理由があるのだということを、思い知らされるようである。



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