壺齋散人の 映画探検 |
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ベルリンの都心部、ポツダム広場に面してソニービルが立っており、その中にドイツ映画博物館が入っている。ドイツ映画の歴史的な経緯をわかりやすく展示した施設だ。筆者がその施設を見物した時には、マレーネ・ディートリッヒの紹介を中心として、主に1930年代のドイツ映画が詳しく紹介されていた。たしかに、ドイツ映画の歴史にとっては、1930年代の前半が黄金時代だったのだ。時あたかも、芸術の分野では表現主義の運動が盛んであったが、その波は映画の分野にも押し寄せてきて、「カリガリ博士」をはじめ、表現主義映画の名作といわれる作品を生み出した。 しかし1930年代も後半になると、ナチスが台頭して来て、ドイツ映画には政治的な影がさし、世界の水準からは一歩遅れてしまう。日本もそうだったが、大戦中のドイツは、自民族称揚と戦意高揚の映画ばかり作られていたのである。また、敗戦後は、国が東西に分割されたこともあって、ドイツ映画の水準はなかなか世界規模にはもどらなかった。 ドイツ映画が、世界水準に達して、質の高い作品を送り出すのは、1970年代のことだ。当時のドイツ映画の傾向を、映画評論家たちはニュー・ジャーマン・シネマと呼んだ。この傾向の映画作家のなかから、ヴィム・ヴェンダースとかヴェルナー・ヘルツォグといったドイツを代表する映画監督が生まれた。 ニュー・ジャーマン・シネマとは、アメリカで1960年代末から始まったアメリカン・ニュー・シネマを意識した命名だったのだが、アメリカン・ニュー・シネマとは大分趣を異にしていた。アメリカン・ニュー・シネマには、同時代のアメリカに対する批判的な意識が濃厚に見られ、その点では政治的な傾向を感じさせたものだが、ニュー・ジャーマン・シネマには、同時代のドイツに対する批判的な意識はあまり感じられない。それは、その頃のドイツがまだ東西に分割されていて、それぞれ自分の国のことを悪しざまに描くことに抵抗があったためかもしれない。 その東西ドイツが1990年に統一されると、ドイツはヨーロッパの盟主としての地位を築き、文化的にも高い水準を示すようになる。また、国が統一されたおかげで、ドイツの歴史についても開かれた視点から見直されるようにもなった。それに呼応して、ナチス時代を客観的な視点から見ようとする動きも強まって来た。21世紀に入ると、そうした動きは、ヒトラーをモチーフとした多くの作品を生んだ。「ヒトラー最後の十日間」をはじめとした一連の映画がそれである。 そんな具合で、ドイツ映画は、21世紀に入ってからは、世界の映画産業をリードする存在に高まったといってよい。その中からは、ファティ・アキンのように、ドイツに定着した外国人起源の映画監督もあらわれ、ドイツ文化を覚めた視点から描くような作品もあらわれた。このサイトでは、そんなドイツ映画の歴史を考慮しながら、ドイツ映画を代表する作品について鑑賞し、ドイツ映画の魅力を大いに語りつつ、あわせて解説と批評を加えていきたい。 |
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