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ドイツ映画「戦線の08/15」:独ソ戦を描く



「08/15」シリーズ第二作「戦線の08/15 パウル・マイ監督」は、題名のとおり戦線におけるドイツ軍の戦いぶりを描く。戦いの舞台はロシア、そこでの独ソ戦の最前線に、第一部で出て来た部隊がそっくりそのまま登場する。ドイツ軍が、兵営単位で戦線に配置されることがよく伝わって来る。その辺は、内地で結成された師団単位で行動する日本軍の場合と同じだ。

1941年の末から1942年にかけての冬の戦闘が描かれる。この時期は、ドイツ軍がなかなかソ連軍を撃破できず、かえってソ連側の猛反撃にあって、後退する状況も生まれた。要するにロシア戦線のドイツ軍が苦難を強いられた戦いだった。その困難な戦いを、映画は批判的な視点から描いてゆく。

第一部の兵営生活を描いた部分でも、ドイツ軍の軍紀のゆるみが目についたが、戦線におけるドイツ軍も、かなり軍紀の緩んだ集団として描かれている。とりわけひどいのは、小隊の司令官が、自分の軍功ばかりしか考えないエゴイストで、部下の命を屁とも思わないばかりか、自分自身が危険に陥ると真っ先に逃げ出すような男として描かれていることだ。こんな司令官を戴いた部隊など、どの国の軍隊でも負けるのは当たり前だ。その当たり前の負け方をドイツ軍はしたのだ、というメッセージが、この映画からは伝わって来る。この映画を作ったパウル・マイは、よほどドイツ軍が嫌いだったのだろう。

その司令官は、女が大好物で、わざわざ兵士の慰問として女芸人たちを部隊に招く。その女芸人たちが尻を振りながら踊る様子を鼻の下を長くして見物した後は、自分の気に入った女を抱こうとするが、女のほうでは、もっとましな男を選んで抱かれる始末。いくら上官でも、女のことまでは差配できないとあって、女は自分の我を通すのである。

上官がこんな具合だから、部下のなかの悪い奴が、それに付け込んで悪事を働く。食料班の班長などは、物資をロシア人に横流しして巨大な利益を得る始末だ。この映画のなかには、ロシアが舞台であるにかかわらずロシア人がほとんど出てこないのだが、その見えないロシア人と取引して、私服を肥やすドイツ兵がいたというわけである。

悪い兵隊ばかりがいるわけではない。第一部で出て来たアッシュ曹長とか、フィーアバイン伍長などだ。フィーアバイン伍長は、連隊長から極秘指令を受けてドイツに戻り、その指令を果した後戦線にもどり、そこをソ連側に攻撃されて、戦車に潰されてしまう。彼は、しばらく休暇を取ってもよいという上の意向にかかわらず、責任感から戦線へ戻ったのだったが、その戦線では、無責任な上官が生き延び、責任感あふれる彼がむざむざ命を落とすのだ。

映画の最後近くで、ドイツ軍の撤退が描かれる。その撤退するドイツ軍部隊にソ連軍が攻撃を仕掛ける。これは、ドイツ軍の撤退の情報を、誰かがソ連側に通報した結果だった。その通報者というのが、映画の中に唯一出てくるロシア人、それも女性で、ドイツ軍の将校と恋仲にあるということになっている。もっとも恋仲にあると思い込んでいるのは、ドイツ軍将校だけで、女のほうでは、ロシア人としての自覚から、ドイツ軍側の情報を逐次ソ連軍に通報していたのである。

普通、どの国の戦争映画でも、自国側を英雄的に描き、敵国側の人間を卑小に描くものだが、この映画の中では、自国軍側はかなりネガティブに描かれている一方で、敵であるソ連側の人間が、女であるとはいえ、英雄的に描かれている。パウル・マイがよほどドイツ軍嫌いだったのか、それとも原作者のキルストが、そのような体験をしたことのあらわれなのか。

ドイツ軍が腐敗しているのは、指揮命令系統が不純なためだ、というメッセージも伝わって来る。映画の中で、ドイツ軍部隊の判断にSSが介入する場面が出て来るが、SSは本来、ドイツ軍の指揮命令系統とは無関係なはずだ。それが軍の指揮命令系統に介入するのは、ヒトラーの意向を盾にしてのことだ。この時期のドイツ軍は度々機能不全に陥ったことが指摘されているが、それはヒトラーが無用な介入をしたためだと言われている。そのヒトラーを盾にして、SSがドイツ軍の指揮命令系統に介入し、混乱させるさまが、この映画では描かれているわけである。

普通、独ソ戦は、緒戦ではドイツ軍が圧倒的に有利だったというふうに言われているが、実際には、すでに1941年の時点で、ソ連側の猛反撃に押されて退却する状況に陥っていた。この映画は、そうした歴史上の真実にも迫っているといえる。

なお、この作品のなかでも、08/15という言葉は、古臭い、陳腐な、という意味で使われる一方、頭の固い、融通のきかない人間という意味でも使われている。



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