壺齋散人の 映画探検
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フィツカラルド:ヴェルナー・ヘルツォーク



ヴェルナー・ヘルツォークは、出世作となった「アギーレ」では南米を舞台に選んだが、1872年に作った作品「フィツカラルド(Fitzcarraldo)」もやはり南米を舞台にしている。しかも、目的は別にしても、南米の奥地を探検する所は共通している。この映画は、ひとりの野心家による壮大な探検の夢を描いているのである。実話を踏まえているのかどうかはわからないが、こんな夢を描いたヨーロッパ人がいても、不思議ではないと思わされるところがある。

ペルーのイキトスという町を根拠地にして、山師のようなことをしていた男が、どういうわけかオペラ好きで、アマゾン奥地のジャングルの中に立派なオペラ劇場を作ろうと思い立つ。しかし、それには巨額の資金が必要だ。そこで彼は、資金を作るために実業を立ち上げようとする。アマゾンの奥地はゴムの木が自生していて、それを活用して儲ければ、オペラ劇場を造るのに必要な資金ができると踏んだのだ。

しかしアマゾンの奥地のゴム林は、すでにほかの実業家によって抑えられている。唯一手つかずに残っているのは、ウカヤリ川の上流地帯だが、そこはポンゴの急流が阻んでいて、人の接近を拒んでいる。そこでかれは、他の河(パテチア川)を船でさかのぼり、その川がウカヤリ川と接近するところで船を陸にあげ、陸伝いに船をウカヤリ川に浮かべようとする。そうすることで、この船を使いながら、ポンゴの急流は陸伝いに迂回して、ゴムの輸送にたえるルートを開発しようと思いつく。そうすれば、ゴムの開発で巨額の資金をひねり出し、オペラ劇場を建設することができるというわけだ。

男(クラウス・キンスキー)は、売春宿を営んでいる女友達(クラウディア・カルディナーレ)から資金を借りて船を買い、大勢のクルーを採用して船でパテチア川をさかのぼる。そんなかれらの前に、原住民が現われる。首狩りで名高い、危険な連中だ。それを見たクルーは、ほとんどが逃げ去ってしまう。残されたのは四人だけだ。この四人では、とても船を操るわけにはいかない。

ところが意外なことが起った。原住民たちが船の航行に協力してくれたのだ。かれらがこの船に乗りこんで来たわけは、どうやら甲板から大音量で鳴らしたレコードの音楽にあったらしい。かれらはその音楽を聴いて感動し、この船はかれらが信じている宗教シンボル、それは空飛ぶ白い船というものであるが、その白い船ではないかと勘違いして、船の航行へ進んで協力したのである。

こうして原住民たちの協力を得て、男は船を陸に持ち上げて、並行して流れるウカヤリ川に浮かべようと努力する。その努力は報われて、ついに船はウカヤリ川に浮かぶ。ところがそこで思いがけないことが起った。原住民たちが、船を川に流してしまったのだ。川を流れ下った船は、ポンゴの急流にもまれながら川を下っていく。それを見て男は絶望する。何故こんなことになったのか。そのわけを原住民から確かめると、この白い船を急流に流すことで、悪霊を鎮めようとしたというのだ。つまり男は、原住民を利用していたつもりで、実はかれらによって利用されていたわけである。

しかし、そんなことでオペラ劇場の建設をあきらめるようなかれではなかった。とりあえず、ゴムへの執着は振り捨てることとして、再起するまでの間に、せめてオペラを催したい。それほどかれのオペラへの情熱は熱かったのだ。男は友人の金持ちから船を買ってもらい、それで得た金で、盛大な船上オペラを催すことにする。その場にはあの女友達もかけつけて、町中が一体となったオペラ騒ぎが展開するというわけである。

こんなわけで、一風変わったヨーロッパ人の他愛ない野心をテーマにした映画だといえる。ミソは、文明の息子たるヨーロッパ人が、野蛮な原住民に一杯食わされるというところにあろうか。

クラウス・キンスキーの表情がなんとも言えない。大きな目で自分のまわりを見渡しながら、勇気と冷静さで事態を打開していく姿は、冒険家の理想像といえるだろう。かれの女友達を演じたクラウディア・カルディナーレは、一時はブリジット・バルドーと並んで、もっともセクシーな女優ともてはやされたものだが、この映画の中の彼女は、もう四十を超えたとあって、セクシーさは感じさせないまでも、なかなかチャーミングな印象を振りまいている。




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