壺齋散人の 映画探検 |
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2016年のオーストリア映画「エゴン・シーレ死と乙女(Egon Schiele: Tod und Mädchen ディーター・バルナー監督)」は、数奇な生き方で知られるオーストリア人画家エゴン・シーレの半生を描いた作品。シーレは28歳の若さでスペイン風邪にかかって死ぬのだが、映画は冒頭で彼の臨終の場面をうつし、そこから20歳の時点まで遡るという構成をとる。その八年間に、彼の身に起きた事柄を追っていくのである。 20歳の頃にシーレは、クリムトの保護下から脱して、新芸術家集団を結成する。その集団には、後に妹ゲルティと結婚するアントン・ペシュカもいる。シーレはその妹をモデルにしていた。しかも裸である。妹はシーレに異性を意識していたようである。シーレがタヒチ出身のモアという女性をモデルにすると、ゲルティは嫉妬するのである。このモアという女性のことは、大方のシーレの伝記には出てこないのではないか。シーレの作品には、彼女らしき女性は見えない。 シーレがモデル兼愛人としていた女性でよく知られているのはヴァリーである。ヴァリーとは、クリムトのアトリエで会うのだが、その前にクルマウでタチアナという女性と会う。普通の伝記では、シーレはヴァリーを伴ってクルマウに行ったことになっている。ともあれ、クルマウを追放されてノイレングバッハにいき、そこではヴァリーと一緒に暮らすようにしている。そこで近所住民の告発を受けて、シーレは裁判にかけられる。 タチアナはヒルツィンガー通りに住んでいることになっているが、そこはシーレの家のある場所でもある。その通りには、アデーレとエディットの姉妹も住んでいる。シーレはその姉妹と付き合うようになるが、結婚相手に選んだのはエディットのほうだった。エディットとの結婚に憤慨したヴァリーはシーレのもとを去る。シーレは彼女にも未練を感じているのだ。 エディットとの結婚後シーレは兵役に服すのだが、映画はそのことにはあまり触れない。いきなり死がおとずれたという描き方になっている。シーレの死は、妹ゲルティ一家が看取ることになっている。エディットはシーレより前に、やはりスペイン風邪で死んでいる。そのことをシーレは知らされない。かれも速やかに死ぬだろうと判断した医師が、知らせるのは無駄だと考えたのである。 タイトルの「死と乙女」は、シーレの代表作の一つだ。シーレが死神を、ヴァリーが乙女をイメージしている。 |
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