壺齋散人の 映画探検
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戦争と映画



1 総論
 20世紀は戦争の世紀であり、また映画の世紀であった。そんなことからこの二つは密接に結びついた。世界大戦を始め、戦争が起こるたびに、映画はそれを主題にした作品を作り、人々の間に戦争についての世論を巻き起こす最大の推進力ともなった。もっとも、映画が戦争の行方そのものに決定的な影響を及ぼしたとは言えない。映画は、戦争を煽るか、あるいはせいぜい追認するといった役割を果たすことが多かったのではないか。
 ここでは、20世紀の戦争のうち、第二次世界大戦に焦点を当てて、戦争と映画のかかわりについて考えたい。
 映画と戦争とのかかわりはだいたい三つの局面からなる。戦前及び戦時中、戦争終了直後、戦後一定の時間を経過した時期。このそれぞれの局面において、戦勝国と敗戦国では、映画による戦争のとらえ方が大きく異なる。
 戦時中:戦前から戦時中にかけては、戦争に向けて国民の意識を誘導したり、戦争の勝利に向けて国民を動員することを目的としたいわゆる戦意高揚映画が、世界中で作られた。厭戦とか反戦を表に出した映画は、どの国でもほとんど作られなかった。戦争中に反戦映画が作られるようになるのは、ベトナム戦争以降のことだ。ベトナム戦争は誤った汚い戦争だという意見がアメリカ国内に高まり、それを追い風にして反戦映画が作られた。これは時代の流れというべき現象である。
 終戦直後:終戦直後の各国国民の反応は、戦勝国と敗戦国とで大きく異なる。それを反映して、戦争をテーマにした映画もかなり色合いを異にする。日本を含めた敗戦国では、負けた戦争を賛美することは無論できないし、かといって自分たちのした戦争を正面から批判することもなかなかできない、ということもあって、戦争を正面から描いた作品はあまり作られなかった。そのかわり敗戦のもたらした精神的なショックと物質的な困窮を描いた作品が多く現われた。それを通じて戦争を暗に批判したわけである。一方戦勝国では、アメリカのように自分たちのした戦争を正義の戦いと捉え、それに勝ったことを謳歌するような作品がたくさん現われた国と、イギリスやフランスのようにあまり戦争をテーマにしたがらない国とに分かれた。
 戦争についての反省の時期:戦後かなりな時間を経ると、戦争についてなるべく客観的な見方をしようとする姿勢が強まって来る。特にアメリカ映画ではこの傾向が強く、戦争についての反省と批判を込めた作品が多く作られる。その背景には、アメリカが第二次大戦後も、朝鮮戦争はじめ多くの戦争を戦い続けたという事情もあるだろう。とくにベトナム戦争は、戦争についてアメリカ人に考えさせるところがあり、それが戦争一般について、したがって第二次大戦についても、なるべく多角的な観点から見直そうという機運を生んだのではないか。
 一方日本を含めた敗戦国では、敗戦直後のような自信喪失の状態から立ち上がって、戦争についてもなるべく客観的な視点から見つめなおそうとする機運が出てくる。それと同調して、負けた戦争ではあったが、兵士や国民は精いっぱい戦ったというような自己満足を盛り込んだ作品も現れた。また、フランスのような戦勝国でも、自国のした戦争を無条件で肯定するのではなく、批判的な視点から見つめなおそうとする機運も生まれた。
 第二次世界大戦は、各国に甚大な影響を及ぼしたので、そう簡単に忘れ去られるわけにはいなかい。すでに終戦から半世紀以上たった21世紀においても、いまだに第二次大戦をテーマにした映画が数多く作られている。日本も例外ではない。そういう中で、かつては勝者と敗者とは交わることがない立場から、それぞれが自国へのこだわりばかり描いていたが、最近では、かつての敵の立場に立って、相対的な視点から戦争の意味をトータルに見直そうとするような作品も作られている。たとえば、アメリカ側と日本側と両者の視点から同じ戦いを描いたクリント・イーストウッドの「硫黄島」シリーズとか、ドイツ側の視点から独ソ戦を描いたアメリカ映画「戦争のはらわた」などがあげられる。こういう映画は、終戦後しばらくはあり得なかった性質のものであって、戦争についての相対的な見方の成熟を前提としており、その意味ではそれなりの時間の経過が必要だったのだと言える。
 第二次世界大戦は総力選と呼ばれるように、軍隊だけではなく、一般国民も何らかの形で戦争に携わった。その結果全世界で六千万とも七千万ともいわれる人が死んだわけだが、その多くの部分は一般の国民だった。だから戦争映画といっても、前線の戦いだけがテーマになるわけではない。国民の日常生活そのものが戦争の一面であるわけだから、戦争映画もまた、国民の日常生活を離れてはあり得ない。そこが第二次大戦をそれ以前の戦争から区別するものだ。第一次大戦を含めて、それ以前の戦争では、戦争は基本的に前線に限られたものだった。だから戦争を描いた映画(戦争映画)は、前線での戦いを描くことに集中したわけだ。チャップリンの「担え銃」などは、その典型的な例と言える。それが第二次大戦以降は、戦争は国をあげての、それこそ民族の存亡をかけたものとなり、勢い国民全体の共同事業に発展する。すぐれた戦争映画はだから、戦争の遂行にかかわる国民全体の表情を十二分に反映したものとなるべき事情を抱えていると考えるべきだろう。



戦争と映画その二
戦争と映画その三
戦争と映画その四
戦争と映画その五


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