壺齋散人の 映画探検
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ルネ・クレールの映画:作品の解説と批評


ルネ・クレール(René Clair)は、サイレント時代からトーキー映画確立期にかけてのフランス映画を代表する映画作家であり、世界の映画史にも巨大な足跡を残した。技術的には、エイゼンシュテインと並んで、モンタージュ技法の確立に寄与したことで知られ、また、内容的には、鋭い文明批評やヒトラーの専制政治を批判したことでも知られる。

サイレント時代には、コメディ・タッチの軽快な映画を得意とした。チャップリンらアメリカのコメディ映画が、ナンセンスなスラップスティック・コメディを得意としたのに対して、ルネ・クレールは、筋書きの意外性を売り物にした。時間がとまってしまった世界を描いた「眠るパリ」や、馬が帽子を食べてしまう「イタリア麦の帽子」などは、今見ても新鮮な笑いをまきおこしてくれる。

「自由を我らに」は、現代の機械文明を痛烈に批判したものとして、チャップリンの「モダン・タイムズ」に影響を与えたと言われる。人間が機械を使うのではなく、機械に使われる存在になりさがったことを、人々に知らしめたこの映画は、20世紀を象徴するような作品だ。また「最後の億万長者」は、ヒトラーの独裁ぶりをいち早く映画で皮肉ったものとして、同じくチャップリンの「独裁者」に影響を与えたといわれる。

一方で、「パリの屋根の下」で代表されるような、パリの街を舞台にした抒情的な恋愛映画も得意だった。パリは恋の町といわれるが、その男女の恋を、ルネ・クレールほど情緒たっぷりに描いた映画作家は、ほかにいないのではないか。

戦時中は、ナチスのフランス支配を嫌ってアメリカに亡命し、ハリウッドで映画を作った。だが、ハリウッドは肌に合わないらしく、「奥様は魔女」のような単純な娯楽映画の凡作でお茶を濁したといった状態だった。

戦後はフランスに戻り映画作りを再開、「沈黙は金」をかわきりに「悪魔の美しさ」や「夜ごとの美女」といった、ファンタスティックな映画を作り、巨匠ルネ・クレールの健在ぶりと、新たな作風への意欲をアピールした。これらの戦後の映画では、フランス映画界永遠の二枚目俳優との評判が高いジェラール・フィリップをフィーチャーした。ジェラール・フィリップの魅力は、ルネ・クレールと組んだ時に、もっとも理想的な形で表現されたのではないか。

最晩年には「リラの門」を手がけ、パリの下町を舞台にした庶民の暮らしぶりを、情緒たっぷりに描き、「パリの空の下」など初期の抒情的な作風の復活が人々をなつかしい気分にさせた。

ルネ・クレールは、チャップリンとの因縁がよく話題になる。チャップリンの「モダン・タイムズ」は「自由を我らに」からアイデアをとったのではないかと指摘され、その「モダン・タイムズ」が現代機械文明批判の象徴のように言われているのは心外ではないかと水を向けられると、自分自身もチャップリンのアイデアをよく参考にしたといって、お互いさまだという認識を示した。二人とも、時代の状況に敏感だったということだろう。そうした敏感な時代認識を共有していたために、ふたりともヒトラーの登場に重大な関心を示さざるを得なかったのだと思う。

こんな具合に、ルネ・クレールは、単に映画作家としてのみならず、文明批評家としても鋭い感覚を持っていたといえる。ここではそんなクレールの作品の中から、代表的な作品をとりあげて、鑑賞しながら適宜解説・批評を加えたい。


ルネ・クレール「眠るパリ」 サイレント映画の古典

ルネ・クレール「イタリア麦の帽子」 馬が麦の帽子を食う話

ルネ・クレール「パリの屋根の下」 フランス・トーキー映画最初の傑作

ルネ・クレール「ル・ミリオン」 人間の欲望を描く

ルネ・クレール「自由を我等に」 機械文明を痛烈に批判

巴里祭 ルネ・クレールの叙情映画

ルネ・クレール「最後の億万長者」 ヒトラーの独裁を皮肉る

ルネ・クレール「幽霊西へ行く」 屋敷に住み着いた先祖の幽霊

ルネ・クレール「奥様は魔女」 ロマンス・コメディ

ルネ・クレール「そして誰もいなくなった アガサ・クリスティの小説を映画化

ルネ・クレール「悪魔の美しさ」 ファウスト伝説

ルネ・クレール「夜毎の美女」 夢の中の美女たち

ルネ・クレール「夜の騎士道 フランス軍のドン・フアン

ルネ・クレール「リラの門」 男の友情を描く



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