壺齋散人の 映画探検
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ジャン・ルノワール「獣人」:エミール・ゾラの小説を映画化



ジャン・ルノワールの1938年の映画「獣人(La bête humaine)」は、エミール・ゾラの同名の小説を映画化した作品。ルノワールは、サイレント時代にゾラの「ナナ」を映画化したことがあった。原作に忠実だという評判だ。小生は「ナナ」は読んだことがあるが、「獣人」は未読である。ある書評によれば、発作的に女性を殺したくなる精神的な病理を抱えた男が、人妻に惚れたあげくその女性を殺してしまうというような筋書きだそうだ。映画もその筋書きに沿って、ジャン・ギャバン演じる男が、人妻を愛した末に、その女性に足蹴にされたことにかっとなって殺してしまうというふに描かれている。

ジャン・ギャバンは、鉄道の機関士ということになっている。人間の恋人がいないので、機関車を恋人がわりにし、それを「リゾン」と呼んでいる。愛する対象を番号で呼ぶわけにはいかないという理屈だ。この男は根っからの鉄道好きで、人間より列車のほうが好きなタイプなのである。こういう男は、小生の周りにもいた。小生は鉄道組織に在籍していたことがあるのだ。その世界では、鉄道にいかれた男たちを「てっちゃん」と呼んでいたものだが、この映画の中のジャン・ギャバンもそうした「てっちゃん」の一人である。

原作で指摘されている主人公の精神病理については、臨時の休暇で叔母を訪ねたさい、従妹とデートしている最中に思わず首を絞めかけるという形で表現されている。その病理があるために、男は女を愛することができないでいたのだ。ところが、思わず一人の女を愛するはめになる。叔母を訪ねた帰り、勤務地のル・アーヴルに向かう列車の中で、ある女と偶然出会い、そこから愛が芽生えるのだ。男は以前からその女を知ってはいた。女の夫は会社の同僚なのだ。その夫が、乗り合わせた列車のなかで殺人事件を起こす。主人公はそれを直接見たわけではないが、殺人犯の様子から気づくのだ。

女はギャバンに近づき、味方になった貰おうとする。ギャバンはそれに応える。味方になるだけではなく、恋人にもなってほしい。しかし、女には別に好きな男がいて、ギャバンと一緒になる気はない。そこで女から足蹴にされたと思ったギャバンは、おもわず逆上して女を殺してしまうのである。

そういうわけで、ギャバンが女を殺したことには、それなりの理由があったというわけである。だが、女に振られたくらいで、殺してしまうほど逆上するのは、たしかに正常ではない。女を殺す直前、ギャバンは女が他の男といちゃつくとさまを見て激しく嫉妬するのであるが、フランスでは女が間男をするのは当然のこととされている。女は尻の軽い生き物だと割り切るのが、フランス男のエチケットなのである。だから、ギャバンが嫉妬のあまり狂って女を殺すのは、きわめて無粋なことといわねばならない。



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