壺齋散人の 映画探検
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ルネ・クレマン「海の牙」:潜水艦の中のドラマ



ルネ・クレマン(René Clément)は、鉄道を舞台にフランス人のレジスタンスを描いた映画「鉄路の戦い」を、第二次大戦終了直後の1945年に公開して、一躍有名になった。この映画は、最初は短篇のドキュメンタリー作品として構想されたのであるが、作成に協力した鉄道労働組合が本格的なレジスタンス映画にしたいという意向を示したこともあって、本格的な映画作品になったといういきさつがある。

クレマンはその後、あの有名な「禁じられた遊び」を作り、戦争の悲劇を訴えたこともあり、戦争にこだわった作家だという評価が定着している。「鉄路の戦い」につづく「海の牙(Les Maudits)」も、戦争をテーマにした作品である。しかし、これは「鉄路の戦い」とも、「禁じられた遊び」とも、かなり違う雰囲気の作品だ。レジスタンスを描いたものではないし、また戦争の悲惨さを通じて平和の大切さを説いた反戦映画でもない。むしろ、戦争という極限状況下における人間の行動を、冷徹な目で分析した、心理ドラマのような観を呈している。

この映画は、人間は極限状況にあっては、いかに非人間的になれるかを、冷徹な視点で描いたものだといえる。その冷徹さは、残酷さといってもよい。その視点の残酷さが人間本来の残酷さと共鳴して、一種独特の世界を描き出している。

舞台はUボートという名称で知られるドイツの潜水艦の中である。この潜水艦には、ナチス・ドイツによって特殊任務を負わされた人間たちが乗り込んでいる。その任務と言うのは、軍事的な任務ではなく、世俗的な任務らしい。だから乗り込んだ人物たちは、軍人ばかりではない。現役の将軍ハウザーも、任務の最高司令官として乗り込んではいるが、そのほかは民間人ばかりだ。彼らはみな、なんらかの理由でナチスのシンパということになっている。そのなかには、一人の中年女ヒルデ(フロランス・マルリ Florence Marly)も含まれているが、彼女はハウザーの愛人と言うことになっている。また、フォルスターという胡散臭い男も乗り込んでいるが、これはナチスの親衛隊の幹部だということになっている。

潜水艦はノルウェーの港を出発し南米の港を目指す。途中、ドーバー海峡で連合軍の攻撃を受け、その時のショックでヒルデが大怪我をする。ヒルデの愛人であるハウザー将軍は、要員をフランスに上陸させ、医者を拉致するように命じる。こうしてこの映画の主人公である医師のギベール(アンリ・ヴィダル Henri Vidal)が拉致されて潜水艦に連れこまれることから、映画が本格的に展開していくのである。

拉致要員の一人が医師のところから持ち帰ってフランスの新聞記事から、ドイツの敗色が濃厚なことを、乗組員のみなが思い知るようになると、彼らの間に動揺が広がる。その動揺は抑えようもなく、次第に一人一人を蝕んでいく。その結果、自殺をしたり、船からの脱出を試みるものもあらわれる。そんななかで、フォルスターだけは、筋金入りのナチス党員としてぶれないのである。彼は、ハウザー将軍までが弱気になっているのを見て、ついに自分自身が潜水艦の最高司令官であると、みなに認めさせるのだ。

医師のギベールは、何度か脱出を試みるがなかなかうまくいかない。彼の味方になってくれたのは、信号解読員の男とイングリッドという少女だけだ。だが解読員のほうは、フォルスターによって、自殺を装って殺されてしまう。

やっと南米に到着したフォルスター等は、現地の工作員と連絡を取ろうとするがなかなかうまくいかない。そこで思い切って上陸し、直接工作員と談判する。工作員は、ナチスが没落するのを知っていて、もはや協力する意思がないのだった。怒ったフォルスターはその工作員を殺してしまう。

いまや、糸の切れた凧のようになった潜水艦は、フォルスターの命令下に置かれ、異常な雰囲気に包まれるようになる。当面の問題は、燃料の確保だ。運よく近くを航海していたドイツの軍艦と連絡が取れ、燃料の補給が行なえるようになる。だが、フォルスターにとって運が悪かったのは、その軍艦からの情報で、ナチス・ドイツが敗北し戦争が終ったことが知れ渡ってしまったことだった。この時点で、乗組員たちの姿勢は二つに分かれる。ひとつはフォルスターを中心にして、あくまでもナチスに忠誠を通すというグループだ。これには潜水艦の艦長始め、水兵の大部分が加わる。ハウザー将軍を始めとする工作員の大部分は、ナチスを見限ってドイツに帰国しようと決意する。

ここからが異常な展開だ。ハウザーたちが乗り移ったドイツの軍艦を、フォルスターが魚雷で撃沈しろと命令する。艦長以下がその命令に従って、軍艦に魚雷を打ち込む。軍艦はあっというまに沈没し、大勢の乗組員がボートで非難するのだが、その彼らに向かって艦長らは機関銃を浴びせかける。ドイツ人がドイツ人を殺すという異常な状況が出現するわけだ。

そのうち潜水艦の中は、ナチス派と反ナチス派にわかれ大乱闘となり、その騒ぎの中でフォルスターも殺されてしまう。潜水艦の中に残っていた乗組員(みな反ナチス)は、ボートに乗って脱出する。ところが一人だけ潜水艦の中に取り残された男がいた。医師のギベールだ。

死を覚悟したギベールは、自分の体験した異常な出来事を記録することに、最後の気力を集中する。だが、彼は運よく助けられた。一人で取り残されてからだいぶ経ってから、洋上を漂流する潜水艦をアメリカの軍艦が発見し、ギベールは救出されるのだ。ギベールの書いた記録を読んだアメリカ艦の司令官が、ギベールに向かって、よく書けていると感想を述べた後に、どんな題名をつけるのかと問う。するとギベールは Les Maudits と答えるのだ。

Les Maudits とは「呪われた人々」と言う意味だ。この映画に出てくる人々と彼らの運命を一言で言い表すとしたら、もっとも気の利いた言葉だと言えよう。それを日本語では「海の牙」と訳したわけだが、これでは何のことか、あまりピンとこないところがある。

この映画のひとつの見どころは、潜水艦の狭い空間のなかでくり拡げられる、人間たちのドラマだ。狭い空間の中に閉じ込められていると、人間というものはまともな感覚を失って、異様な判断をするようになる。その異様な判断が、人間に自殺をさせたり、また同じ国の人間を平然と殺させるようにもなる。そんな異様な雰囲気が如実に伝わってくる。この映画は、サスペンス映画としても秀逸だといえよう。



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