壺齋散人の 映画探検
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ルネ・クレマン「太陽がいっぱい」:アラン・ドロンの魅力



1960年のフランス映画「太陽がいっぱい(Plein Soleil)」は、何といってもアラン・ドロン(Alain Delon)を一躍大スターにした映画だ。フランス映画には、ほぼ10年ごとに大スターが現れる。1930年代にはジャン・ギャバン、40年代にはジャン・マレー、50年代にはジェラール・フィリップが現れた。アラン・ドロンはそれらに引き続いて、60年代以降のフランス映画を代表する看板スターになった。その後、映画は世界的な規模で斜陽化していくから、アラン・ドロンは銀幕を飾る最後のフランス人大スターとなったわけである。

監督のルネ・クレマン(René Clément)は、「鉄路の戦い」や「禁じられた遊び」など、社会的な問題意識を全面に出した映画を作ってきた人だったが、この映画では商業的な成功を目当てにして、エンタテイメントに徹した映画作りをしている。クレマンは、この後もそうした商業映画を作り続け、アラン・ドロンも何度か使っている。

サスペンスタッチで、小気味良いスピード感を以て展開していくので、二時間という長さを感じさせない。さすがに映画作りの大家クレマンだけのことはある。巨匠が作るわけだから、同じ商業映画でも、ものが違うと言った満足感をもたらしてくれる。

筋書きは簡単だ。イタリアで遊び暮らしているアメリカ人の大金持ちの放蕩息子グリーンリーフ(モーリス・ロネ Maurice Ronet)を、父親の依頼で連れ戻しに来た青年トム・リプレー(アラン・ドロン)が、憎しみを抱いた結果殺害し、その後でその放蕩息子に成りすまして上流階級の暮しぶりを楽しもうとするが、結局は素性がばれて破滅するといったものである。そこにささやかな恋の戯れがからみ、映画に一味付け加えていると言った具合だ。

映画のクライマックスは二つある。一つは、トムが洋上のヨットの上でグリーンリーフを殺害する場面、もう一つはそのグリーンリーフの遺骸が、引き上げられたヨットの底から現れて、トムの犯行が露見するラストシーンだ。

トムがグリーンリーフを憎んだわけは、グリーンリーフが自分を虫けらのように扱ったからだった。グリーンリーフにはマルジュ(マリー・ラフォレ Marie Laforet)という恋人がいるが、彼女に対しても非人間的なひどい扱いをする。そこで、マルジュを愛し始めていたトムは二重にグリーンリーフを憎むようになって、ついには殺してしまうというわけである。グリーンリーフは、トムに殺されるにあたって、自分は必然性に従って殺されるのだという自覚を持ちながら死んでいく。そこが見ている者にとっては何ともいえず面白いところだ。

グリーンリーフを殺したあと、トムはそのグリーンリーフに成りすまして、洒落た生活を楽しもうとする。しかし愛するマルジュに対してはトムでなければならない。そこがちょっとした矛盾として迫ってくる。観客としては、なにも無理してグリーンリーフに成りすまさないでもいいではないかとも思えるのだが、そこは映画の世界、割り切れないところがあってこそ面白さも増すというわけだろう。

だが、いつまでも無事に他人になりすましてはいられない。不都合なことが次々と起こってくる。最も決定的だったのは、グリーンリーフの友人に自分の狂言を見破られそうになったことだ。そこでトムは殺しの罪を重ねてしまう。その第二の殺人が警察の強い関心を招き、トムは次第に追い詰められていく。

だが、トムの最大の関心は、自分の犯罪についてではなく、いかにしたらマルジュの愛を獲得することができるかだった。マルジュはトムとともにグリーンリーフのヨットに乗っていたところを、トムの計略によって、グリーンリーフに腹を立て、ヨットから下りたのだったが、その後、トムはグリーンリーフを殺したのだった。しかしトムはマルジュに向かって、グリーンリーフは彼女を捨ててどこかへ行ってしまったと嘘をつき、彼女の関心を自分のほうに向けさせようとする。

マルジュを巡るトムの計略は何とか功を奏し、トムはついにマルジュの愛を獲得する。それは、グリーンリーフとマルジュとがかつて一緒に暮していたイタリアの漁村の一角にあるアパートの部屋の中でのことであった。

マルジュの愛を獲得したトムは、浜辺のディヴァンの上に寝そべりながら、いっぱいの太陽を満足げに浴びる。しかし、あたかもその時に、破滅の影がトムに覆い掛かるのだ。点検のために海から陸地に引き上げられたグリーンリーフのヨットの底から、グリーンリーフの遺体が出て来たのだ。トムは、グリーンリーフを殺した後、遺体を毛布にくるみ、重石の代わりに錨を巻きつけて海に沈めたつもりだったのだが、何かのはずみで毛布に巻きつけたロープの端がヨットの底に巻き付いてしまっていたのだ。

トムを演じたアラン・ドロンの演技は実に念が入ったものだといえる。トムは貧しい家に生まれて、ろくな教育も受けていないが、自尊心だけは人一倍強い。その強い自尊心で、世間を斜め横から見ている。そのねじまがった根性と、生きることへの強烈な意思、そして若い男のセクシーな魅力、そんなものをドロンは如何なく発揮していた。

なお、映画の舞台となったモンジベロという漁村は、実際には存在しないのだそうだ。映画の中ではナポリの南側にある、急行列車の停まる駅ということになっているが、イタリア地図の何処を探しても、モンジベロという駅も、そういう名の漁村も実在しない。



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