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ダルデンヌ兄弟「少年と自転車」:親に捨てられた子供



ダルデンヌ兄弟は社会の底辺で必死に生きる人々の姿を描き続けた。2012年の映画「少年と自転車(Le gamin au vélo)」は、親に捨てられた子供と、その子の里親になった女性との心の触れ合いを描いた作品だ。じつに考えさせられるところの多い映画である。

キリルという少年は、父親から育児放棄されて、日本の養護施設のようなところに預けられている。そのショックもあって、かなり反抗的だ。かれの当面の目的は、前に住んでいた家に忘れてきた自転車を取り戻すことだったが、実は自転車をきっかけに父親と話し合いたかったのだ。そのキリルが、ふとしてことでサマンサという女性と知り合い、彼女に里親になってもらう。自分からなって欲しいと頼んだのだが、サマンサがそれを受け入れたのは、彼女の母性の強さだったと伝わって来るように描かれている。

美容師をしているサマンサは、週末にキリルを受け入れて世話をする。彼女には恋人がいるのだが、その恋人はキリルに嫉妬して彼女のもとを去っていく。それでもサマンサは、キリルの世話を見続ける。まず、キリルが求めている自転車を取り戻してやる。父親が金に困って売り払ったものを、買い戻したのである。

キリルはそれにとどまらず、父親と会いたいと願う。サマンサは会わせることに躊躇していたが、キリルの熱意に負けて会わせてやる。しかしキリルは父親から厳しく拒絶される。お前がいては仕事もできないというのだ。

絶望したキリルは、非行に走るようになる。自転車を盗んだ者を追いかけたことがきっかけで、不良と近づきになり、その不良に唆されて強盗を働くのだ。サマンサは、キリルをその不良と引き離そうとするが、キリルは言うことをきかない。ある商人をバットで襲って失神させ、金を強奪したばかりか、その商人の息子までバットで殴るのである。

少年は不良との間で金を分け合い、もらった金を父親に渡そうとする。どうもキリルは、父親が金にゆとりができれば、自分と一緒に暮らしてくれるかもしれないと思ったようなのだ。だがその期待はあっさりと裏切られ、キリルはまたもや父親から拒絶されるのだ。

犯行はすぐにばれる。不良は刑務所に入れられ、キリルは傷害相手と示談することになる。サマンサが示談金を支払ってなんとかうまく収めてくれるのだ。そこでサマンサとキリルは、穏やかな生活を送ることができるようになるのだが、そんなある日、襲い掛かった商人の息子から追いかけられる。父親のほうは謝罪を受け入れたが、息子は許せなかったのだ。追いつめられたキリルは木に登って逃れようとするが、石をぶつけられて落下し、失神してしまう。そんなキリルを、商人たちは事故で死んだように見せかけようとする。だがキリルはまもなく立ち上がって、自転車に乗ってサマンサのもとに向かうのだ。映画はそのキリルの姿を映しながら終わる。

こんな具合で、なんとも後味の悪い、背筋が寒くなるような気持ちにさせられる映画である。ただ一つだけ救いがあるのは、サマンサという女性に体現された人間のやさしさだ。このやさしさがあるおかげで、キリルはなんとか生きていく希望を捨てないでいられる、というふうに伝わって来る。なお、この映画を作るにあたって、ダルデンヌ兄弟は、日本における育児放棄の問題から着想を得たということだ。日本にとってあまり名誉なことではない。



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