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ロベール・ブレッソン「すり」:フランスの実存的なすり



すりは、世界中どこでもいる。日本にも無論いる。日本のすりは、生活に迫られて余儀なくやるタイプと、ある種のゲーム感覚でやるタイプとに大別できるようだが、フランスのすりには、実存主義風の理屈をつけて自分の行為を正当化するのもいるらしい。ロベール・ブレッソンの1959年の映画「すり(Pickpocket)」は、そんなフランスならではのユニークなすりを描いている。

フランスには泥棒をある種の高等技能として尊重する文化があるようだ。有名なジャン・ジュネはそんなフランス人にとって英雄的な泥棒で、あのサルトルも惚れ込んだくらいだ。日本にも石川五右衛門とかネズミ小僧といった粋な泥棒がいたが、かれらには義侠心は豊富ながら、知性を感じることはない。ところがこの映画に出てくるすりは、結構知性的なのだ。

かれは生まれながらの泥棒ではなく、仕事がないので仕方なくすりに手を染めたのだったが、しだいにその行為に快感を覚えるようになる。快感だけではものたりないので、かれはすりという行為に哲学的な意義づけまでしたいと思うのだ。

そんなわけで、決してわかりやすい内容ではない。だいたい、泥棒という行為に哲学的な意義など無用なのではないか。かれは泥棒を働く傍ら、泥棒という行為に寄せる自分の哲学的な思索をノートに書き記すのだ。ブレッソンの映画の主人公は、「田舎司祭の日記」に出てくる司祭をはじめとして、やたらとメモをとるのが好きなのである。

この泥棒にも人間的な弱みはあって、それがかれを滅ぼすのだが、しかしまた生きる希望にもつながる。かれは一人の女を愛してしまい、その女のためにすりを働いて捕まってしまうのだが、しかし彼女への愛があるために、今後も生きていこうという気力を得ることができるのだ。愛の矢は人を選ばず。泥棒にも届くということか。



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