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ルイス・ブニュエル「忘れられた人々」:メキシコ・シティの下層社会



ルイス・ブニュエルは第二次大戦後メキシコへ渡り、そこで低予算映画を何本か作った。1950年の作品「忘れられた人々(Los Olvidados)」はその代表作である。メキシコ・シティの下層社会を描いたこの映画は、よくイタリアのネオ・レアリズモと比較される。社会の底辺で貧困にあえぐ人々の生き方をドライなタッチで描いていることに共通性があるからだ。しかし同じ貧困といっても、戦後のイタリアとメキシコでは根本的に異なる。戦後のイタリアは戦火の打撃からまだ回復できず、いわば戦争の犠牲者たちが一時的に貧困状態に陥っていたのに対して、メキシコの貧困は恒常的なものだ。それはメキシコ社会の根本的なあり方を表している。だからそれを正面から描き出すことは、メキシコへのドラスティックな批判を伴わざるを得ない。

たしかにこの映画に描かれた貧困は目を背けたくなるほど陰惨なものだ。しかも子どもたちに最も重くのしかかっている。子どもたちは、貧困に押しひしがれてまっすぐに成長することができない。多くの子どもたちが社会の大通りからドロップアウトして、身を持ち崩してやくざ物になるか、あるいは喧嘩をして殺されてゆくかだ。要するに彼らには、あてにできる未来がない。この映画の主人公は、一人の未成年者と一人の男の子なのだが、二人とも最後には殺される。彼らが殺されたといっても、そこには何の意味もない。もともと余計物だったものが、いなくなっただけの話だ。

こんなわけでこの映画は、子どもたちに焦点を当ててメキシコ社会の貧困をドライなタッチで描いてゆく。上述した二人の主人公のうち一人は、感化院から脱出してきた未成年ハイボだ。彼は自分を密告した友人を恨んでおり、ついにその友人を殺してしまう。この殺人現場に一人の少年が居合わせる。この少年ペドロは母親への反発から家出して、その辺をうろつきまわっている。そうこうしているうちに、殺人現場に居合わせることになり、犯人のハイボからなにかと付きまとわれるようになる。その挙句に、ハイボに殺されてしまうのだ。そしてそのハイボも、警官によって射殺されてしまう。

なんとも救いのない映画である。この救いのなさがメキシコの現実なのだと言われたら、見ているほうは気が滅入るだろう。しかもその映画の中に出てくる貧者たちは、みな白人である。白人でさえこのような貧困にあえいでいるのなら、インディオたちはどうなのか。メキシコが深刻な差別に分断された社会だということは公然の秘密だったから、白人の一部がこれほどの貧困にあえいでいるなら、非白人とりわけインディオたちがもっと悲惨な状態にあるだろうことは容易に思い当たる。

そんなことからこの映画は、メキシコ社会に対する痛烈な批判になっている。人間が人間としてまともな生き方ができない国、それがメキシコだ、という印象が強烈に伝わってくるのだ。

この映画の見せ場は二つある。ひとつは母親によって感化院送りをされたペドロが、感化院の院長から一人前の人間扱いをされて、人間に対する信頼を取り戻しそうになるところだ。彼は所長から大金を預けられて、買い物をするように頼まれる。彼にはその金を持って感化院から逃げる選択もあったわけだが、所長との約束を果たそうと決意する。ところがそこにあのハイボが現れて、ペドロから金を奪い取ってしまう。ペドロはなんとかその金を取り戻そうとするのだが、ハイボから返り討ちにあって殺されてしまうのである。

そのハイボも、彼の殺人事件を追及する刑事たちによって射殺されてしまう。抵抗するでもなく、逃げようとしたところをあっさりと撃たれてしまうのだ。その現場を見ていた盲目の老人がつぶやく。「生まれてくる前に殺されていればよかったんだ」と。

なんとも切ない総括ではないか。一方ペドロについても、自分が殺された小屋の所有者が犯罪の巻き添えを恐れて、警察に届け出ることもせず、遺体をリアカーで運び、ゴミの山に投げ捨ててしまう。この少年には、生きていた証さえ許されないのである。ここまでドライに徹底されると、見ているほうとしてはなんともむなしい気持にさせられる。

ハイボに率られた不良の一団が、盲目の老人や足なえの男を襲撃する場面が出てくる。足なえの男は襲撃されて金を奪われたうえ、イザリ車を捨てられてしまうのだ。全体的に陰惨な印象が強いこの映画のなかでも、もっとも陰惨な場面だ。神も仏もない。こういう場面を何気なくはさむこともあって、ブニュエルには無神論者の嫌疑が絶えないのである。



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