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ルイス・ブニュエル「小間使いの日記」:ジャンヌ・モローの怪しい魅力



ルイス・ブニュエルは第二次大戦後、メキシコとスペインで映画を作ったあと、1963年にフランスにやってきて、以来フランスで映画を作り続けるようになる。ブニュエルはスペインの生まれであり、メキシコでも活躍しているのだが、一応フランスを代表する映画作家の一人に数えられている。それは初期の作品とともに、晩年の多くの作品をフランスで作ったことにもとづいている。「小間使いの日記(Le Journal d'une femme de chambre)」は、フランス復帰後最初に作った映画である。

この映画には原作がある。19世紀の末に書かれた同名の小説なのだが、それは世紀末のフランス人への絶望が反映された作品だといわれている。世紀末のフランスでは、ファナティックな右翼運動が盛んになり、ドレフュス事件なども発生した。そうした風潮に対して絶望感を抱いた作者のミルボーが、フランス人がいかに愚かな人間たちであるかを、この作品の中であばいたとされる。

ミルボーはフランス人であったので、同胞たちの愚かさに絶望したわけだが、スペイン人であるブニュエルにとっては、そうした愚かさは滑稽にしか映らない。そういうわけでこの映画は、フランス人がいかにアホで救いがたい連中であるかについて、徹底的に揶揄しているのである。

中年に差し掛かったある女が、ブルジョワの屋敷に小間使いとして雇われる。屋敷の主人は引退した実業家で、この小間使いに性的な興味を示す。彼はどうやら靴屋らしく、靴に対してフェティシズム的な倒錯愛を感じ、この小間使いに靴を履かせては興奮するという趣味をもっている。主人には娘と入り婿がいるが、娘のほうは金勘定ばかりに熱心で亭主を顧みない。亭主のほうは欲求不満が高じて、女なら誰でも手を出す。当然小間使いにも色目を使う。小間使いのほうは、自分の性的魅力を武器にして、男どもを翻弄しにかかる。しかし、この連中が余りにも低劣なのにあきれて、一旦は屋敷を去る決意をするのだ。

彼女がその決意を翻したのは、可愛がっていた少女が殺されたためだ。その少女は、森の中で強姦されたあげくに殺された。小間使いはその犯人が雇い人の同僚であるジョゼフだとにらみ、色仕掛けをまじえながら彼に近づき、なんとか尻尾を掴もうとするが、なかなかうまくゆかない。そこで自分で細工をして、ジョゼフを落としいれようとする。ジョゼフの靴の留め金を殺人現場に置き、それを警察に拾わせることによって、ジョゼフがこの事件の容疑者であると思わせるように仕向けるわけだ。

この作戦は一応成功して、ジョゼフは警察に逮捕される。しかし証拠不十分で釈放される。そして、少女を殺したのはジョゼフではなく、入り婿ではないかと思わせる場面がいくつか繰り返される。この入り婿は女にだらしなく、映画が始まった時点で小間使いに子どもを作らせたとアナウンスされていたのだが、そのうち少し頭の足りない他の小間使いにも手を出す。そんなわけだから、少女を強姦したことも十分にありうる、と観客に思わせるわけだ。だが決定的な情報は画面からは流れてこない。観客は消化不良のままで放置されたまま、映画は終わるのである。

こんなわけでこの映画に出てくる人物たちは、どれもこれもどうしようもない奴ばかりである。ブルジョワの一家は金と色との他何も考えていないし、軍人であるその隣人はどういうわけかブルジョワに嫌がらせばかりしている。そんな軍事も主人公の小間使いに色気を感じ、彼女に結婚をせまる。その申し出を小間使いは、どういうわけだかわからぬがあっさりと受け入れ、軍人の妻となるのである。この小間使いは、一旦屋敷を出たあとわざわざ戻ってきてまで少女の殺害犯人を追及しようとするのだが、その追及は妄想に支えられていて、現実的な基盤をもたない。挙句は細工を弄して男を犯人に仕立てあげようとする。どうしようもない登場人物の中でも、彼女がもっともひどいかもしれない。

比較的ましなのは、彼女によって殺人犯に仕立て上げられたジョゼフだ。ジョゼフは浮気心からではなく本気で彼女に惚れている。だから彼女からセックスを迫られても、それは正式に結婚してからにしようなどと殊勝な言葉を吐くのである。そのジョゼフも、ガリガリの反ユダヤ主義者として描かれている。彼が逮捕後すぐに釈放されたのは、反ユダヤの愛国者だと認められたからだ。当時の、つまり19世紀末のフランスでは、愛国者は反ユダヤ主義者と同義語であったというわけである。

この映画の魅力は、小間使いを演じたジャンヌ・モローの怪しい雰囲気に負っているところが大きい。彼女はエキゾチックな風貌とニヒルな雰囲気をあわせ持つ女優で、圧倒的な存在感をかもし出している。彼女の行為には、必然的な動機がないかわりに、不自然な逸脱もない。だから男の部屋に入り込んで、ストッキングをはいたままベッドにもぐりこんでも、観客はそれを自然なこととして受け取る。こんなことは、ほかのどの女優にも期待できないところだろう。


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