壺齋散人の 映画探検 |
HOME|ブログ本館|美術批評|東京を描く|水彩画 |ブレイク詩集|西洋哲学 |プロフィール|掲示板 |
ブニュエルは「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」で、ヨーロッパのブルジョワたちの不道徳な生き方をあっけらかんとしたタッチで描いたのだったが、その続編ともいうべき「欲望のあいまいな対象(Cet
obscur objet du désir)」は、不道徳な欲望そのものが生き方を支配するに至った、呪われた無信仰者をウェットなタッチで描き出した。異星人がこの映画を見れば、地球人の本質がわかるだろう、そんなブニュエルの思いが込められた作品だ。 地球人の本質とは欲望に弱いことである、というのがブニュエルの思想である。その欲望は、食欲に向けられたり、性欲に向けられたり、運動感覚の解放に向けられたりするが、いづれの場合においても、人間が欲望に耽るというよりも、欲望が人間を駆動する、という構図が成り立つ。欲望に駆動されるほど弱い存在、それが人間なのだ、というのがブニュエルの思想の要点だ。 この映画の主人公(フェルナンド・レイ)は、暇をもてあましたブルジョワで、金にあかせて遊び歩いている。その男があるとき、一人の女に一目惚れする。まだ十八歳だというこの女は、主人公フェルナンドにとってファム・ファタール(宿命の女)となる。フェルナンドはその女を何とか自分のものにしたいと思い、ありとあらゆる努力を費やす。ところが女のほうは年に似合わずしっかり物で、フェルナンドの欲望に付け込んで翻弄する。 つまり、十八歳の少女の美しさに幻惑された男が、その少女を自分の慰み者にしようとして、かえって少女の慰み者にされるというのが、この映画の不思議なプロットになっているわけだ。だからこの映画は一種のマゾヒズムの世界を描いたといってよい。この手のマゾヒズムの世界は、日本人の谷崎が「痴人の愛」で描き出して見せたところだったが、ブニュエルのこの作品の世界も、それに劣らず変態的な雰囲気に満ちている。 ヨーロッパのブルジョワなんて、所詮こんなもんさ、というブニュエルの冷めた視線が、この映画からは伝わってくる。ブニュエルはこの映画をかなり複雑な構造で作っており、いたるところでアクロバット的などんでん返しが見られるのだが、そうしたトリックがうるさく映らないのは、映画のテーマが人間の欲望という即物的なものだからだろう。人間の欲望は、どんなトリックよりも複雑で強烈だ。 人間の欲望の前では、対象はすべてが曖昧な輪郭線をはみ出して、モチーフと地が渾然一体化したシュールな絵のようなものになる。対象が明確な輪郭を持っている限りは、対象は欲望の支配下にある。対象の輪郭が曖昧になり、対象と欲望との間の距離も消失するとき、対象は欲望の支配から逃れて浮遊するようにも見えるが、実は、欲望はかえって強度を増すのだ。ブルジョワには、この強度を増した欲望がたまらなくすばらしいと感じられる。痴人の愛の主人公もやはり曖昧化した欲望の対象に翻弄されることでマゾヒスティックな喜びを感じていたのだったが、フェルナンドも同じような喜びを感じる。欲望は、人種を超越した人類共通の属性だからだろう。 フェルナンド・レイは、南欧系社会のブルジョワを演じさせたら天下一品のはまり役だ。尊大な雰囲気のなかに卑猥な感じをただよわせ、ただ快楽のために生きているといった、いわば欲望の塊としてのブルジョワジーの化身のような印象を漂わせている。日本の旦那階級は、溝口の映画の時代から、金と色に執着した存在として描かれてきたが、ヨーロッパのブルジョワは、少なくとも表向きは、金には執着しない。その分、色への執着には常軌を逸したすさまじさを感じさせる。 フェルナンドが執着する相手の女を、二人で一役を演じている。前半のパリが舞台になっている場面ではフランス人のカロール・ブーケ、後半のスペインが舞台となった場面ではスペイン人のアンヘラ・モリーナである。この女はコンチータと呼ばれていたが、これはコンセプションの愛称である。コンセプションは、英語だと受胎という意味だが、スペインでは昔から女の子の名前として使われてきた。由来はよくわからない。 なお、最後に近いところで、セビリアの酒場でコンチータが真っ裸になって踊る場面が出てくる。陰毛がむき出しなので、かなりどぎつい印象を与える。面白いのは、そのストリップショーの観客の多くが、どうも日本人らしいことだ。この当時スペインで集団になってストリップショーを楽しんでいるのは日本人ぐらいだ、というステロタイプがあったようである。ブニュエルは「昼顔」の中でも、怪しい日本人を登場させて、カトリーヌ・ドヌーヴを抱かせている。頭のどこかに、日本人に対するネガティブな像がこびりついているのだろうか。 |
HOME|フランス映画|ブニュエル |
作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2016 このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである |