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ルイス・ブニュエル「自由の幻想」:フランス人の欺瞞性



ルイス・ブニュエルは、フランスのブルジョワジーの背徳的な生き方を皮肉たっぷりに描くのが好きだったが、この「自由と幻想(Le Fantôme de la liberté)」という作品では、背徳性にプラスして欺瞞性まで描き出した。フランス人というのは実に欺瞞的な生き物であり、彼らにあっては、真実は欺瞞に内在するという格言が至上の価値を持つ。そんなフランス人の欺瞞性を見せつけられたら、当のフランス人をはじめ世界中の人間は、それをどう受け取ってよいやら途方にくれるに違いない。

描かれた対象が欺瞞性だから、映画そのものも欺瞞に満ちている。なにしろこの映画の中では、真実と虚偽とは区別がつかないし、出演している俳優たちは、自分が演じていることの意味を全くわかっていないのではないかと、観客に思わせる。こんな映画を見せられたら、観客はどう受け取ってよいやら、あらためて途方にくれるに違いない。といった具合でこの映画は、とことん観客を馬鹿にしているのである。

この映画には、筋書きらしきものは一切ない。いくつかのエピソードが紹介されるだけだ。だがその紹介の仕方には一定のパターンがある。尻取りゲームではないが、ある場面で新たに登場した人物が次の場面の主人公になり、その次の場面で新たに登場してきた人物が、その次の場面の主人公になるといった具合だ。

最初に出て来るのは神経衰弱気味の男である。その男が、鶏と郵便配達人夫とダチョウが自分のベッドのまわりをうろつくところを見る。それを幻覚だと思った男は精神科の医者に相談する。するとその医者のアシスタントの女が、休暇を貰いたいと願い、医者によって許される。

女は車を運転して自分の実家に向かうが、途中で道路封鎖に出会い、ふとしたホテルに投宿する。そのホテルには、色々な人間が泊っている。四人の神父だとか、老女と少年の恋人同士とか、サディストの女とマゾヒストの男の組合せとか。この連中が一室に集合すると、マゾヒストの男が尻をむき出して、それをサディストの女に鞭で打たせる。一方、高校生だという少年は、自分の祖母ほどの女を裸にして、セックスをせまるのだ。祖母ほどの老女は、恥毛をなびかせながら少年を迎えるのだが、そのさまがなんとも卑猥さを感じさせる。

女は翌日ある男を車に同乗させる。その男は軍の施設で軍人たちを前に講義を始める。軍人たちは、本務の傍ら講義を受けているようで、入れ代わりたち替わりメンバーがかわる。その生徒たちが全員出動でいなくなると、先生はある家庭に赴いて食事にあずかる。その家庭というのが不思議な人の集まりで、テーブルのまわりに便器を椅子代わりに並べ、みな下着をおろして便器にまたがり、会話を楽しむのだ。その時の会話の内容が振るっている。この先人口が増えていったら、地球は排泄物であふれるだろうというもので、ある種の倒錯したマルサス主義である。

教授は車に乗ってその家を辞すのだが、次はその車を運転していた男の話。男は医者から診断結果を聞かされる。どこも悪いところはないが、腹に穴をあける必要があるといわれ、腹を立てた男は、その医者にビンタをくわせる。診断の礼だというわけである。その男が家に帰ると、娘が行方不明だという連絡が学校からあったという。そこで男が、学校に出かけてみると、娘はそこにちゃんといる。しかし男には娘の存在がわからない。そればかりか、その娘を伴なって警察署に行き、捜索願いを提出する始末だ。警察では、その娘の実物を捜索の参考にするのである。

警察の署長が外に靴を磨きに行く。次は署長の隣で靴磨きをしていた男の話。その男は超高層ビルの上階の部屋から、地上にいる人々をつぎつぎとライフルで狙撃する。当然男は警察によって逮捕され、裁判にかけられる。裁判の結果男は死刑の判決をうける。だがどういうわけか、刑の執行と称して男は釈放されるのだ。

一方警察の捜索の延長で、警視総監が出てくる。その総監がバーでいっぱいやっているとき、ある女と出会う。その女が死んだ妹に似ているので、総監はすっかりなつかしくなる。そこへ電話がかかってくる。総監の妹からだ。これから会いたいと言う。そこで総監は墓地に出かけていって、妹の墓をあばこうとする。するとそれを墓地の管理人にとがめられ、総監は逮捕されてしまう。そこで自分は警視総監だと主張して抗議するのだが、これもどういうわけか、本物の警視総監が会ってやるという。その本物の警視総監と動物園を視察した総監は、そこでさまざまな動物とともに、初めのシーンで出て来たダチョウを見るのである。

ここで映画は反転して、映画のそもそものスタートシーンに戻る。それは、1806年に、ナポレオン軍によって射殺されるスペインのゲリラたちを写しだしたものだった。

こういう具合で、なんとも形容の仕方も見当たらぬ不思議な映画である。



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