壺齋散人の 映画探検
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ルイ・マルの映画「さよなら子供たち」:ユダヤ人をかくまう学校



ルイ・マルは「ルシアンの青春」(1974年)の中で、対独協力者となった少年が、ドイツ軍の力をかさにきてフランス人を見下したり、ユダヤ人を迫害するさまを描いたが、その後十年以上たって作った「さよなら子供たち(Au revoir, les enfants)」も、対独協力者を憎悪を込めて描くとともに、ユダヤ人への迫害を改めて取り上げた。この映画はカトリックの寄宿学校が舞台なのだが、その学校の校長が何人かのユダヤ人少年をかくまっていた。それをかぎつけたドイツ軍が、学校を襲ってユダヤ人の少年たちを引き立てる。かれらに待っているのは、いずれも苛酷な運命だった、というような内容の映画である。

フランス人の一部、それもカトリックの関係者が、じっさいにユダヤ人のために力を貸したのかどうか。この映画は、ルイ・マル自身の少年時の体験をもとにしているというから、実際にそういう例があったのであろう。その学校の生徒たちは、互いにいじめあったりするが、ユダヤ人であることはいじめの理由にはなっていない。かれらには、人種差別の悪癖はないということになっている。そう設定することでルイ・マルは、自分自身にも自分の属したサークルの中にも、醜い人種差別はなかったと言いたいのであろう。

ルイ・マル自身と思われる少年と、ユダヤ人少年との友情を中心に展開していく。そのユダヤ人少年は、学校当局の人々によって保護されているというふうに伝わってくるので、学校はその少年の両親の意向を受けてそうしているのだと思わされるのだが、学校が保護していたユダヤ人少年は、他にもかなりの数に上っていたことが後にわかるので、おそらく宗教的な使命感にもとづいて弱いものを保護していたのだと、気づかされる。

ルイ・マルと思われる少年が、親しい友人をユダヤ人だと気づくきっかけが二つある。一つは、その友人が楽器を得意としていること、一つは豚肉を食わないことだ。どちらも、単独では偶然のせいにできるが、二つ重なると言い訳できない。ユダヤ人が、楽器を生きる上での基礎的な道具としていたことや、豚肉を食わないことは、よく知られたことだったからだ。

ドイツ軍兵士よりも、対独協力者のフランス人のほうが、醜悪な生きものとして描かれている。かれらは、対独非協力者を反独分子といって吊るし上げるのであるが、それは今日の一部日本人が、自分たちの気に入らない人間を「反日分子」といって吊るし上げるのに似ている。どの時代のどの国にも、そういった醜悪な連中はいるものだ。

映画の最後で、ユダヤ人たちのことを密告したのは、学校で働いていた雑役係の少年だったことが判明する。かれは、フランス人から馬鹿にされた腹いせに、ユダヤ人をナチスドイツに売ったのだった。それは「ルシアンの青春」における、ルシアンの振舞いを彷彿させるものである。

なお、ドイツ軍兵士が、少年たちの中からユダヤ人を探し出すときの様子がなかなか考えさせる場面になっている。ドイツ兵は、紙が黒くて縮れていることを、ユダヤ人の外形的特徴として、弁別しているのである。そのような思い込みが実際あったもののようである。


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