壺齋散人の 映画探検
HOMEブログ本館美術批評東京を描く水彩画動物写真ブレイク詩集西洋哲学 プロフィール掲示板




大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups):フランソワ・トリュフォー



フランソワ・トリュフォーの1959年の映画「大人は判ってくれない(Les Quatre Cents Coups)」は、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の魁となった作品である。そこでヌーヴェル・ヴァーグ運動とはなにか、ということが問題になるが、厳密な定義はないようである。何となく時代の雰囲気をあらわした漠然とした言葉だが、強いて言えば、社会への批判意識が強いということだろうか。フランスは文明国でも最も洗練された社会と言われているが、それは裏を返せば欺瞞的な社会ということでもある。欺瞞は文明に比例するからだ。そこでその欺瞞をあばき、文明のゆがんだ側面を批判するところが、ヌーヴェル・ヴァーグ運動の共通の持ち味となった。そんなふうに言えるのではないか。

「大人は判ってくれない」は、子供の視点からフランス社会の欺瞞性を見つめた作品である。リセに通う生徒の目から見た社会であるから、その視界は狭いものだ。学校生活と家族との関係が大部分をしめる。学校の生活は我慢できないほど退屈で、しかも無分別な教師がいるおかげでむかつくことばかりだ。しかしそんなことにいちいち目くじらをたてていては気持よく生きてはいけない。学校というものは、文明社会に生まれた子供にとっては、通過儀礼として経験しなければならないものなのだ。そこのところが、主人公の子供にはよく見えていない。彼はただ即物的に学校がいやなのだ。

家族との関係は、一人っ子の子供にとって両親との関係ということになるが、その関係がまた悲惨極まりない。母親は尻軽で、父親は無能だ。自分のことをちっともわかってくれない。しかしこれもまた、フランスに生まれた子供にとっては異常なことではない。女が尻軽なのと男が無能なのとは、フランス社会固有の性格で、なにもいまさら目くじらを立てることでもない。しかしそんな両親を持つ子供にとっては、たしかに耐えられないほどいやなことかもしれない。普通は誰しもあきらめて受け入れていることがらを、この子供は新鮮な眼で指摘しているというわけであろう。

こんなわけで主人公の子供アントワーヌ・ドワネルは、徹底的に社会に反抗し、さまざまな反社会的行為を重ねる。恐ろしいのは、そんな子供に手を焼いた親が、子供を見離してしまうことだ。しかも母親がその音頭を取る。彼女は、子供を少年鑑別所に送り込み、そこで性根を鍛えなおして欲しいと願う。そんな母親は日本では考えられないと思うが、フランスでは当たり前なのだろう。自分の手に余る部分は、社会に協力してもらって鍛えなおしたい、そう考えているわけだ。もっと恐ろしいことは、それでも改悛の様子を見せない子供によくよく愛想をつかした母親が、子供に向かって義絶の宣言をすることだ。もうお前のことなんか知らない、というわけである。

親に見離された子供がどんなことになるか。この映画はそこまでは触れていない。鑑別所を脱走したアントワーヌが、海岸の波打ち際を、あてどもなく走る場面を映して映画は終わるのである。

この映画のプロットは、トリュフォー自身の少年時代をモデルにしたものだという。だから絵空事ではなく、現実の重みがあるわけだが、そして映画の迫力はその現実味に根ざしているわけだが、それにしてもすさまじい現実だ。こんな映画を見せられると、日本人である筆者などは、これが同じ地球上に生きている人間のことだとは到底思えない。これは、フランス社会の乱れが原因なのか、それともトリュフォー個人の経験が常軌を逸していたのか、そのあたりははっきりとしないようだ。

映画の原題 Les Quatre Cents Coups は、400発の拳骨という意味で、それくらいの拳骨を食らうにあたいする無法者ということなのだろう。映画の主人公の少年アントワーヌがそんな無法者とは思えないのだが、欺瞞的なフランス社会にあっては、子どもといえども社会の秩序を守らないものは無法者扱いされるということらしい。そういえば、フランスの歴史には長い間子どもが存在しなかったと言ったのは、フランス人のアリエスだった。現代社会のいまでも、フランスには厳密な意味の子どもは存在しない、つまり子どもは子どもとして扱ってもらっていない、とトリュフォーは言いたいのだろうか。

少年鑑別所がショッキングに映る。アントワーヌのような思春期の少年だけではなく、学齢期に達しない幼い子どもたちまでが収容され、檻の中に入れられている。この子どもたちは、おそらく反社会的な行為をとがめられてここへ送られてきたのではなく、親に捨てられたのだろうと思われる。日本では養護施設の担当していることを、フランスでは鑑別所が担当しているのだろうか。その辺の事情に詳しくない筆者には詳しくはわからない。





HOMEフランス映画ヌーヴェル・ヴァーグ次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2013-2016
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである