壺齋散人の 映画探検
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素敵な悪女(Et Dieu créa la femme):ロジェ・ヴァディム



ロジェ・ヴァディムの1956年の映画「素敵な悪女」の原題は、Et Dieu créa la femme(そして神は女を作られた)である。これが聖書の創世記の記述を意識したものであることは明確である。創世記は、女の誕生を人類の原罪の直接の原因としているが、それほど女というものは、キリスト教徒にとっては、罪深いものなのである。この映画はそうした女のどうしようもない罪深さと、それに翻弄される男たちの愚かさを描いたものである。

この映画はフランス人の不道徳な生き方を描いたという点で、ヌーヴェル・ヴァーグの先駆的な作品だとの評価もあるが、やはり何と言っても、ブリジット・バルドーを一躍スーパースターとして売り出した点に最大の歴史的な意義をもったものだ。当時、監督のヴァディムはバルドーの肉体の魅力にすっかりいかれており、彼女の魅力を世界中に知ってほしいと思ってこの映画を作ったようだ。彼女を売り込むことで、その彼女を掘り出した自分自身の功績を世間にアピールしたかったようである。

たしかにブリジット・バルドーのセックスアピールは強烈だ。がたいがしっかりしている上に、豊満な肉体がえもいわれぬ調和をかもし出し、フランス男ならずとも、だれでもしゃぶりつきたくなるような魅力だ。こんな女なら、フランス男たちが揃って骨抜きになるのもいたし方がない、そんなふうに思わせる。

もっともこの映画には、フランス男ばかりではなく、ドイツ人の中年男クルト・ユルゲンスも出てくる。頭が禿げ上がって、いかにも分別盛りのドイツ人であるクルト・ユルゲンスさえメロメロになるのだから、バルドーの魅力には毒気のようなものも含まれているのだろう、そんなふうにも感じさせる。

バルドーはやや頭の弱い二十一歳の女を演じている。彼女は孤児で、里親のところに預けられているのだが、日頃の素行が悪いので、孤児院に送り返されそうになる。そこで近くに住んでいるお人よしの男と結婚することで、なんとか孤児院に戻らずにすむ。彼女が実際に愛しているのは、夫の兄のほうなのだが、彼はあばずれ女であるバルドーを軽蔑している。そんな男をバルドーは、あわよくば誘惑しようとし、誘惑に成功して浜辺でセックスする。

兄弟と交わりあった彼女に、その兄弟の末の弟までが、お相伴意にありつこうとして近づいてくる。どうしようもなく破綻した人間関係が展開されるわけである。それは不道徳といったなまやさしいものではない。これが人間の人間らし生き方なのよ、といった信念に支えられているから、本人は自分を不道徳などと思っていないし、むしろ人間として自然なことをしているのだと思っているのだ。なにしろ、むくむくと性欲が高まってきたら、すみやかにそれを発散しないでは、いてもたってもいられないのである。

こんなわけでこの映画は、魅力にあふれたあばずれ女の自由奔放な生き方を描いており、じつにあっけらかんとした楽天性に彩られている。バルドーの肢体の美しさを味わうだけでも、見た甲斐があったというものだ。





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