壺齋散人の 映画探検
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華氏451:フランソア・トリュフォ



フランソア・トリュフォの1966年の映画「華氏451」は、ディストピアを描いた作品だ。ディストピアにはいろいろなタイプがありうるが、この映画が描くディストピアは、人々が本を読むことを禁じられている社会だ。本を読むだけでなく、文字を読むこと自体が禁じられているらしい。というのも、新聞というものがあるにしても、それには一切の文字が省かれており、絵だけで構成されているからだ。ただ、消防署の壁には「451」という文字が書かれている。これは「華氏451」を現わす文字で、紙が燃え上がる温度を示している。あらゆる文字を追放するために、その媒体である紙が、この社会では消滅の対象となっているのである。

その消滅作業を担当するのは消防署だ。消防署というのは、常識的には、火を消すことを目的とした組織だが、このディストピア社会では、本を燃やすこと、つまり火を勢いづかせることが目的だ。映画はその消防車の職員モンターク(オスカー・ウェルナー)を中心に展開してゆく。

モンタークは毎日同僚たちと一緒に消防車に乗って出動し、本を摘発してはそれを焼却する毎日を送っている。彼は有能な消防士で、上司の信頼も厚い。昇進の話もある。その彼らが毎日出動に使っている車は赤い消防車だが、普通の消防車とは違って、放水ポンプではなく火炎放射器を装備している。この火炎放射器で摘発した本を焼き尽くすのだ。

消防署には毎日のように市民からの密告が寄せられる。その密告に従って本を所有している家を襲い、その場で本を摘発して焼却する。本自体が摘発対象で、その所有者はあまり責められることはないようだ。だが抵抗すると、本とともに焼却されたりもする。彼らには強大な権限があるらしく、公務執行妨害の現行犯はその場で焼却する権利を持っているようなのだ。

モンタークには優柔不断なところがあって、そこを一人の女性クラリスにつけいられる。つけいられるといって不穏当ならば、親しみをもって接触されたと言ってよい。クラリスが何故モンタークに親しみを感じたのか、その理由はあまり判然としない。ただ彼女はモンタークに読書の悦楽を教え、そのことでモンタークは本を隠れ読むようになる。

一方モンタークの妻リンダは、ごく平凡な女で、権力の言うことに従うのが市民の義務だし、身の安全のためだと思っている。だから夫が本を隠れ読むようになったことに耐えられない。あげくに彼女は夫を消防署に密告することになる。このリンダとクラリスを、ジュリー・クリスティが二役で演じている。だがメイクが巧みなせいか、一人二役とは見えない。

モンタークは仕事として、消防車に乗って自分の家に急行し、本を摘発する仕事に取りかかる。彼はもう消防署をやめるつもりでおり、これが彼にとって最後の仕事なのだ。その仕事のなかでモンタークは逆上して消防署長を焼却してしまう。追われたモンタークは、いつかクラリスが話していたブック・ピープルの国へ逃れる。そこは現実社会から逃亡してきた人々がある種の共同体を作り、そこで一人が一冊の本を暗記することで、本の伝統を絶やさないように努力しているのである。モンタークもやがて、自分の好きな本を暗記することになるであろう。それを暗示しながら映画は終わる。

本を焼くシーンのなかで、焼かれる本としてフォークナーやサルトルの名が出てくるが、これは当時のヨーロッパの知的空間を反映しているのであろう。なおこの映画は、イギリス映画ということになっており、俳優もイギリス人であり、彼らが使う言語も英語である。ところがトリュフォは英語が話せなかったそうだ。また、冒頭のクレジット情報が、字幕ではなく口頭アナウンスで紹介される。これは、文字の抑圧をテーマにするこの映画の精神を尊重した細工と思われる。同じことをゴダールもしている(「軽蔑」などで)。




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