壺齋散人の 映画探検 |
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マルセル・カルネの1950年公開の映画「港のマリー(La Marie du port)」は、初老の男と18歳の小娘の恋を描いた作品。初老の男をジャン・ギャバンが、小娘をニコール・クールセルが演じた。なんということもない軽い作品だが、ギャバンが出ていることで引き締まっている。ギャバンは、カルネの映画には結構出ていて、ミシェル・モルガンと「霧の波止場」で共演したころは若さを感じさせたものだが、この映画の中では年を感じさせる。とはいえ、その時にはまだ45歳だった。 舞台はさる港町。シェルブールから車ですぐの距離ということが伝わってくるので、ちょっと調べてみたところ、シェルブールとル・アーヴルのほぼ中間にある港町ポール・アン・ベッサンだとわかった。映画の中では単にポール(港)と呼ばれている。クールセル演じる小娘マリーはそこの女だから「港のマリー」というわけだろう。 ギャバンは愛人を車に乗せて港にやってくる。愛人の父親が死んで、その葬式が催されているのだ。そこでギャバンは愛人の妹マリーを見初める。かれはシェルブールでカフェと映画館を経営している。愛人とは同棲しているが、倦怠期で飽き飽きしている。愛人もそうだ。そこでギャバンは港町で船を買い、それを理由に頻繁に港町を訪れる。本当の目的はマリーだ。マリーには若い恋人がいる。理髪師をやっている。その恋人が嫉妬深い。 ギャバンとマリーはさまざまなことを体験するうち、次第に深い仲になっていき、最後には結ばれる。一方マリーの姉(ギャバンの愛人)は、ちょっとしたはずみで妹の恋人(理髪師)とくっつく。結局ギャバンは、姉妹ともどもものにし、姉のほうは若い男をつまみ食いするというわけである。日本語では、母子ともどもものにすることを親子丼というが、姉妹ともどもものにすることについては特別な言葉はない。それほどありふれているからか。 |
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